くすりの情報Q&A Q2.日本では、いつごろからくすりが利用されていたのですか。

回答

日本に本格的なくすりの知識が広まったのは、大陸から仏教が伝わった頃からとされています。仏教を保護した聖徳太子は、大阪に四天王寺を建立(こんりゅう)した時に、さまざまな薬草を育て、くすりを製造・調合し、処方する施薬院(せやくいん)もつくったといわれています。

解説

くすりの歴史は、人類の歴史と同じといわれるほど古いものです。たとえば、1万数千年前の縄文人たちは、食料としての木の実などの採集を通して、植物に精通していました。住居跡からは、くすりに使ったと思われるキハダ(ミカン科の落葉高木、生薬(しょうやく)名=黄柏(おうばく))が発見されています。

日本の古い文献では、『古事記(こじき)』に、くすりにまつわる話がいくつか記されています。たとえば、有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と因幡(いなば)の白ウサギの話です。大国主命は、因幡の国(鳥取県)で、皮をはがれて丸裸にされ泣いているウサギと出会います。ウサギは、サメをだまして海を渡ろうとしたところ、それがばれて皮をはがれ、海水につけられて苦しんでいたのです。

大国主命は、ウサギをあわれみ、「真水で体を洗ってから、蒲(がま)の花粉を体にまぶしなさい」と教えます。蒲は、水辺に多い多年草の植物ですが、その花粉は止血・鎮痛薬(ちんつうやく)でした。のちに大国主命は、他の神々の恨(うら)みを買い、焼けた岩によって大ヤケドを負わされてしまいます。その時に母親の神は、赤貝の粉を削(けず)り、はまぐりの汁と混ぜたものを大国主命の体に塗り、命を救います。赤貝の粉とはまぐりの汁の混合物は、当時のヤケドのくすりだったのです。

また仏教では、仏の教えを広めると同時に、医学や技術を通じて人々の役に立つことを奨励(しょうれい)しました。その影響で、くすりや医学に詳(くわ)しい僧たちも、日本に数多くやって来ました。たとえば、井上靖(やすし)の小説『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』にも描かれた鑑真(がんじん)(日本における律りっしゅう宗の開祖、俗姓=淳于(じゅんう))は、唐(とう)から日本への渡航に5度も失敗し、途中で失明しながらも、753年に苦労の末、6度目の試みによって来日しました。鑑真によって、日本に初めて正式の受戒僧(じゅかいそう)が誕生しました。

その一方で鑑真は、くすりに詳しい医僧でもあったのです。目は不自由でしたが、あらゆるくすりを鼻でかぎ分けて鑑別(かんべつ)することができ、聖武天皇(しょうむてんのう)の夫人である光明皇太后(こうみょうこうたいごう)の病気を治したことが伝えられています。

その当時のくすりの一部が、現在も東大寺正倉院に収蔵されています。

図表・コラム

2|薬狩りの図

薬狩りの図

この絵(壁画)は、611年5月頃、推古(すいこ)天皇(初夏の日射しを日除けでしのいでいる左側の人物)が、各々に冠位を表す色の衣装をまとった百官(ひゃっかん=役人)たちを率いて、大和・莵田野(うだの、現在の奈良・宇陀市)の丘陵一帯で、薬狩り(薬草採取)に励んでいる様子を描いたものです。これは、『日本書紀』にも記されており、日本最初の薬草採取の記録といわれています。

出典:内藤記念くすり博物館蔵

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