くすりの情報Q&A Q1.くすりとは、そもそもどういうものだったのですか。

回答

くすりとは、もともと自然界にある多くの植物や、一部の動物や鉱物などを起源としたものでした。さまざまな病気や痛み、傷きずなどの治療に役立つものを、自然界から経験的に見つけ出し、用いたのが始まりです。

解説

植物は、洋の東西を問わず、古代から盛んにくすりとして利用されてきました。紀元前4000年頃、メソポタミア文明を築いたシュメール人たちが残した粘土板の書物には、すでに数多くの植物の名が薬用として記されています。

中国の薬物書の古典『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』が書かれたとされるのは西暦100年頃。神農(しんのう)というのは、古代中国の伝説上の帝王で、みずから草や木の根を口にして、その効用を試したところから、医薬の神ともされています。

神農の伝説は、やがて日本にも入り、江戸時代には医師の家や薬問屋には、神農像が祀(まつ)られていたといわれます。

系統的かつ科学的に薬物について記された世界最初の薬学誌『マテリア・メディカ』が、古代ギリシャの薬物学者ペダニウス・ディオスコリデスによって著(あらわ)されたのも西暦100年頃とされています。ディオスコリデスはローマ皇帝ネロの侍医(じい)であったとも伝えられ、軍隊とともに各地を転戦する間にみずから採集した薬草や用法など、たくわえた知識をその著(ちょ)に記しました。

日本では、紫式部をはじめ平安時代の女性たちが熱心に参詣(さんけい)した奈良の長谷寺(はせでら)や、一夜にして巨大な曼荼羅図(まんだらず)を織り上げたという中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説で知られる當麻寺(たいまでら)(当麻寺)のように、昔から女性の信仰が厚い寺では、さまざまな薬草を植え、女性用のくすりとして使っていたところも少なくありません。現在では、どちらも「牡丹(ぼたん)の寺」として観光名所ともなっています。

「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」。昔から、美人のたとえとしてよく知られたこの言葉に出てくる植物は、いずれも婦人病のくすりでした。

シャクヤク(生薬(しょうやく)名=芍薬(しゃくやく))は冷え性や月経不順・産後の疲労回復、ボタン(生薬名=牡丹皮(ぼたんぴ))は月経困難や便秘、そしてユリ(生薬名=百合(びゃくごう))は乳腺炎(にゅうせんえん)などのくすりとして利用されてきました。

くすりと植物との深い結びつきは、くすりという言葉の成り立ちからもわかります。漢字の「薬」は、草かんむりに楽という字を組み合わせたもので、楽には「細かく切る、刻(きざ)む」という意味があります。

また、国語辞典の『大言海(だいげんかい)』によれば、くすりは「草煎(くさいり)」から変化した言葉とされています。草煎りとは、草を煎せんじること。植物を細かく砕(くだ)いたり、煎じたりして利用したもの、それがもっとも一般的なくすりだったのです。

図表・コラム

1|神農像

神農像イメージ

中国の薬祖神(やくそじん)。古代中国の伝説上の帝王・神農が草木をなめ、その効能を調べ、教えたという故事から、中国では医薬の神様として祀られています。
日本でも、古くからの医家や薬屋を訪ねると、神農像が祀られているのを見ることができます。現在でも、製薬企業の集まる大阪の道修町(どしょうまち)では、「神農さん」のお祭りがおこなわれるほど親しまれている神様。一方、東京で製薬企業の集まる日本橋本町では、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を薬祖神としたお祭りがおこなわれています。

出典:内藤記念くすり博物館蔵

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