トピックス 経済安全保障セミナー「経済安全保障と製薬業界」を開催

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2023年6月26日、製薬協産業政策委員会経済安全保障タスクフォース主催による経済安全保障セミナー「経済安全保障と製薬業界」が、会員会社を対象にウェブ形式にて開催されました。当日は143名が参加し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員兼地経学研究所主任研究員の相良祥之氏による講演と質疑が行われました。

経済安全保障タスクフォースについて

本セミナーを主催した経済安全保障タスクフォースは、米中のデカップリングの動きに端を発する国の経済安全保障法制化やそれと呼応する経済団体の動きを踏まえ、製薬協においても経済安全保障に対応する組織が必要との考えに至り、2021年10月に産業政策委員会に設置されました。本タスクフォースでは、関連省庁やシンクタンクの識者等との勉強会や厚生労働省との意見交換、製薬協会員会社向けのセミナーを開催するとともに、2022年5月に成立した経済安全保障推進法に対しては、関連政令・省令案への製薬協としてのパブリックコメントを提出する等の活動を進めています。

セミナー開催の背景

米中対立や新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミック、ロシアによるウクライナ侵攻とその後の対ロシア制裁の影響を受け、経済安全保障への関心が日本においても、また世界的にも急速に高まっています。COVID-19パンデミックで明らかになったことは、ワクチンや医薬品のサプライチェーンが、国民の命と健康に直接、影響を及ぼすということです。マスクや医療用ガウン等、個人用防護具(PPE)の供給が困難になったことは記憶に新しいところです。さらにワクチンについてはEUの輸出規制を受けて日本の輸入に支障が生じたこともありました。PPEの中国依存、ワクチンの欧米依存が、日本の経済安全保障を推進しなければならないとの機運を盛り上げています(図1)。

図1 日本の経済安全保障政策の体系
図1 日本の経済安全保障政策の体系

一方で、日本の経済界の悩みとしては、米国にも中国にも事業があり、どちらも重要であり、二者択一でどちらかを選べといわれても選べないのが実情である点です。多くの日本企業が中国に工場ももっており、そこで働く現地の従業員も多く抱えていますが、経済安全保障の文脈からは、こうした経営上のリスクをどう見れば良いのか、米中対立の荒波を個社だけでは到底乗り越えることはできません。米中の技術覇権をめぐる競争や地政学・地経学的競争におけるライフサイエンス、バイオ産業の位置付け、さらにはサプライチェーンの強靭化等、経済安全保障が製薬業界に与える影響や対応について、国連や外務省での勤務経験があり、日本政府の新型コロナウイルス対応を検証し、内閣総理大臣の菅義偉氏(当時)にも報告を行った「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)の一員でもあった相良祥之氏より講演があり、その後質疑を実施しました。以下、その様子を紹介します。

■講演

「経済安全保障と製薬業界」

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 兼 地経学研究所 主任研究員 相良 祥之 氏       

(1)米中対立と経済安全保障

トランプ政権の米中「デカップリング」論で知られることになった米国の対中強硬路線は、いまや共和・民主の党派を超えたコンセンサスがあると考えられています。 米中対立に至るまでの歴史を振り返った際、重要な出来事は以下の通りです。

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2001年: 中国の世界貿易機関(WTO)加盟(米国による対中関与政策への象徴的出来事)
2008年: 世界金融危機で中国が相対的に台頭
2010年: 尖閣沖中国漁船衝突後の対日レアアース禁輸(中国が経済的依存を武器化)
2017年: 米トランプ政権の発足で対中強硬路線へ
2020年: COVID-19危機による対中強硬路線強化、従来は協力可能であるとされた国際保健・感染症対策でも米中協力は困難に

日本で「経済安全保障」が初めて定義されたのは、2022年12月に閣議決定された国家安全保障戦略においてでした。ただし、ここでも経済安全保障上の脅威については明記されていません。経済安全保障上の最大の脅威は経済的依存関係の武器化(経済的威圧)と考えます。その他の脅威として、政府調達における自国産優遇(米国でもリスクあり)、中国における「法による統治(rule by law)」の重視等も挙げられます。

2021年に中国で「反外国制裁法」が成立してからも、中国は米中対立の激化を避けるために運用面で対抗措置の実行には慎重でしたが、2023年5月の半導体大手マイクロンの政府調達禁止はG7広島サミットの成果に対する反発と見られています。中国は市場として魅力的ですが、今後はこのような経済的威圧が実行される可能性があることを認識しておく必要があります(講演後に中国政府はガリウム・ゲルマニウム関連品目の輸出管理強化を発表)。

(2)経済安全保障の焦点となる医薬品・バイオ

現在の中国には、西側諸国から不当な抑圧を受けているとの認識があり、半導体等の分野において自国での技術開発・商業化が必要と考えています。近年ではバイオテクノロジーへの関心も高いです(図2)。

図2 中国製造2025
図2 中国製造2025
出典:相良氏講演資料より抜粋

一方で米国議会では共和党・民主党ともに対中強硬策への合意があり、どちらの政党が中国に対してより厳しくできるかを競い合う場面さえ見られています。米国には「中国が生物学的脅威(biological threat)になり得る」という認識があるのが特徴です。米国のインテリジェンス・コミュニティでは、COVID-19の起源に関する意見が割れています。たとえば米国中央情報局(CIA)は「動物から人への感染」の可能性が高いとの見方、他方で、米国連邦捜査局(FBI)は「武漢ウイルス研究所からの流出(故意ではない流出も含む)」との見解です。

2020年に米商務省産業安全保障局(BIS)は、中国の新疆ウイグル自治区での人権被害等を理由に中国の遺伝子解析大手BGI Groupの子会社2社を輸出規制のエンティティリストに追加しました。さらに米国で人気のルーツ調査や出生前診断のゲノムデータが、遺伝子解析の委託先であるBGI関連会社を通して中国政府や人民解放軍に流出している懸念も出てきており、2023年3月にはBGI関連3社がエンティティリストに追加されました。

経済安全保障の文脈では、日本政府も以前は半導体・AI・量子の3分野にフォーカスしていましたが、最近ではバイオ技術・バイオものづくりへの関心も高まっています(図3)。

図3 日米でも重要性が高まるバイオ
図3 日米でも重要性が高まるバイオ
出典:相良氏講演資料より抜粋

(3)サプライチェーン強靭化

サプライチェーン脆弱性の分析では米国・EUが先行した取り組みを実施しています。End to End(E2E)でのサプライチェーンの可視化(製薬業界でいえば、出発物質や原薬から、患者さんに届くまで)が必要といわれていますが、国内では紙媒体の伝票を現在でも使用している状況もあり、特に中小企業からのデータの収集が難しいと指摘されています。

また企業にとって脅威は中国政府だけでなく、バイデン政権が提唱してきたfriend-shoring、すなわち同盟国、友好国等に限定したサプライチェーンの構築の相手国である米国や同志国の製薬企業とも、物資の争奪戦は生じ得ます。

経済安全保障推進法のサプライチェーン強靭化における「特定重要物資」はこれまでのところ安定確保医薬品のカテゴリAの4成分だけが指定されていますが、十分でしょうか。定期的な見直しが必要と思います。

(4)Small yard, high fence; De-risking and diversifying

現在、経済安全保障で重要なキーワードは“Small yard, high fence(対象は絞り込み、塀は高く)”と“De-Risking(リスク軽減)”の2点です。デカップリングは現実的ではないため、欧州が2023年3月頃から提唱している「デリスキング」の概念を米国政府も採用し、G7広島サミットの経済安全保障に関する声明にも盛り込まれました。サリバン米国国家安全保障担当大統領補佐官は、“a narrow slice of technology(ごく限定された機微技術)”を特定し、手当てする必要性に言及しています。

BGIのように制裁対象となった企業に対する輸出が行われた場合には、政府の輸出管理当局のみならず、メディアや株主からも追及される可能性があります。金融機関も経済安全保障に関連する点は厳しく見ています。

(5)日本に求められる対応策

国民の命・健康を守るという共通のビジョンを掲げて、政治・政府・産業界・アカデミアで取り組むべきと考えています。日本では危機対応医薬品等(Medical Countermeasures、MCM)の所掌が不明確と考えます。新設される内閣感染症危機管理統括庁がMCMのサプライチェーン管理・強靭化や新興技術の社会実装を統括し、かつ省庁横断で連携する仕組みを構築すべきと考えています。米国では、保健福祉省戦略的準備・対応管理局(HHS/ASPR)が同様の役割を担い、規制当局である食品医薬品局(FDA)との連携も進んでいます。

米国はインドと経済安全保障上の協力を進めており、日本政府にとってインドは地政学・地経学上の重要なパートナーです。「インドの医薬品原薬(API)は信頼できない」との声もありますが、2023年6月の米印首脳会談では医薬品サプライチェーン強化が合意されました。欧米は水面下で交渉を進めていることも多いので、欧米企業に出遅れないように注意が必要です。

競争力を損ねないためには情勢分析を行い、米国・中国の動きをしっかりと理解すべきです。たとえば地経学研究所(IOG)も会員企業向けに有益な情報を提供しています。

当日の質疑の様子

相良氏の講演の終了後に質疑応答の時間が設けられ、以下のような質問がありました。

台湾有事に伴う中国を起点とする医薬品サプライチェーンが途絶する可能性
西側諸国間での必須医薬品の原薬の需給ネットワークの共有
製薬企業で経済安全保障の担当(リスク管理)として適している部門
政府内でのワクチンの優先度低下の懸念
friend-shoringについて
対米の課題では同志国間でも考え方や方針が一致しないこともあるが、日本企業として留意すべき点
日本もSmall yard high fenceに倣っていく中で、各企業が重要な情報を守る必要性をどのように伝え、準備すべきか

(産業政策委員会 経済安全保障タスクフォース リーダー 吉田 力

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