Points of View
英国NICEにおけるHSTの評価結果と
ICERの他に意思決定に考慮された要素について
医薬産業政策研究所 主任研究員 白石隆啓
医薬産業政策研究所 主任研究員 三浦佑樹
要約
- 本稿では、英国NICEにおけるHSTについて、医薬品の使用を推奨するための意思決定に考慮された、医薬品の多様な価値を確認するという目的で調査を行った。
- HSTの対象となる選定基準は2019年4月時点から変更されており、変更前に比べて厳しくかつ明確な基準となっていた。
- HSTの評価ガイダンスにおいて、医療的な価値以外の一つとしてCarer(介護者等のQOLへの影響)の要素を集計した結果、定量的なICERへの組み込みまたは定性的な意思決定への考慮がされた割合は74%であった。また、定量的にICERに組み込まれた割合は48%、定性的に意思決定に考慮された割合は44%であった。
- ICERで定量的に評価・補足できない他の要素として、Innovation(イノベーション)やEquity(公平性)はそれぞれ11%、15%と一定数の報告が確認され、HSTでの適切な価値評価の実態を把握するためにはICERの他に意思決定に考慮された要素の動向を注視する必要がある。
1. はじめに
英国NICE(National Institute for Health and Care Excellence;国立保健医療研究所)は、製造販売承認を取得した医療技術について、製薬企業から提出されたClinical evidenceやCost effectivenessのレビューに基づいて評価ガイダンスを作成する。評価ガイダンスではTA(Technology Appraisal;技術評価)という枠組みで、Clinical evidenceやCost effectivenessの結果の他にも様々な要素が考慮され、NICEが作成する推奨事項の中で、NHS(National Health Service;国民保健サービス)での使用を推奨するかどうかが評価される。1)
評価ガイダンスは、対象となる医療技術の適応症の数などによって様々な評価プロセスが設定されており、2015年からHST(Highly specialized technologies;超希少疾病を対象とした医療技術評価)2)がTAの枠組みの中の一つに導入された。政策研ニュースNo.672)は2022年8月までにおいて対象となった21の評価ガイダンスの結果が報告されているが、2024年6月時点では31の評価ガイダンス3)までが報告されている。HSTの対象となる選定の基準4)として、①対象患者が非常に少ない(英国での有病率が、5万人に1人または、1,100人未満の疾患)、②国で承認された適応症のうち当該技術に適する患者が300人以下(複数の適応症を有する場合は、合わせて500人以下)、③生命を著しく縮める、または生活の質を著しく損なう極めて稀な疾患、④他に十分な治療法がない、または既存の治療法よりも大きなベネフィットをもたらす可能性が高いことのすべてを満たす必要がある。この選定基準は2019年4月時点から変更されており(図1)、内容としては変更なしの①以外において、厳格化および明確化されていることが伺える。その背景の一つとして、英国の医療財政の逼迫の中で、NHSにおける予算枠の限界といった状況があるのではないかと推察する。また一方で、基準がより明確に定義され、HSTの適格性の解釈がより標準化されたことによって、過去に選定基準の合致をめぐり不服申し立てにつながり患者アクセスの遅れの要因になっていた事例の解消につながっているといった見解もある5)。
そして、これらの選定基準を満たし対象となった場合は、ICER6)Incremental cost-effectiveness ratio;増分費用効果比)の基準(TAでは2万~3万ポンド/QALY7))が大きく引き上げられる(10万~30万ポンド/QALY)ことに加え、アプレイザル(総合的評価)の過程で定性的な要素(ICERで定量的に組み込まれなかった家族の負担や患者の社会参加可能性など)がTAよりも意思決定に考慮され、推奨の判断に加味されることもある8)。
本稿は、2024年6月6日時点でNICEのwebサイト3)に掲載されている評価ガイダンスを対象とし、財政影響がある中でも意思決定に考慮された医薬品の多様な価値を確認するという目的で、医療技術の推奨事項の判断に起因したICER以外の意思決定要素とその傾向を調査した。

2. 調査方法
本稿の対象は、NICEが公開しているwebサイト3)に掲載されているすべてのHST評価ガイダンス31件(HST1~31)とし、webサイトにて確認できた27件9)を調査・集計した(表1)。表1において、Brand name(製品名)は、英国のものを表記している。また、評価ガイダンスにおけるICERおよび新技術が患者の生涯に獲得されるQALYの値に応じて適用される1~3のWeight(重みづけ)を表記した10)。1~3のWeightの適用によって、ICERの基準値が10万~30万ポンド/QALY6)の間で調整される11)。SchemeにはPAS(Patient Access Scheme)、MAA(Managed AccessAgreement)を表記しているが、内容については後述する。
評価結果として、NHSでの使用が推奨されているか非推奨かをTypeofrecommendedに示した。
また、ICER算出時に用いられるQALYとCostに加えて、評価ガイダンスで報告されている要素として3つ、Carer(介護者等のQOLへの影響)、Innovation(イノベーション)、Equity(公平性)に整理し、Carerは5つ、Innovation、Equityは3つの尺度で表した。ICERの算出に含まれるようなQOL値等の要素は定量的な評価、ICERの算出には含まれない要素を定性的な評価と定義した。定性的な要素のうち、推奨の意思決定の判断材料となることが明記されているものは意思決定に考慮されたとし、明記されていないものは言及されたと区別した。
Carerについては、評価ガイダンスで定量的にICERに組み込まれてかつ定性的にも意思決定に考慮されたと記載があるものを◎、定量的にICERにのみ組み込まれたものを○、定量的にICERには組み込まれていないものの定性的に意思決定に考慮されたと記載があるものを●、評価ガイダンスで言及はされているが意思決定に考慮されたかどうかが不明瞭なものを△、評価ガイダンスでは言及がなされていないものを—とし、Innovation、Equityについては、評価ガイダンスで定性的に意思決定に考慮されたと記載があるものを○、言及はされているが意思決定に考慮されたかどうかが不明瞭なものを△、言及がなされていないものを—とした。
上記におけるこれらの尺度は、評価ガイダンスから読み取れる範囲内で2名の著者が判断し、両者の解釈に乖離があった場合は両者の協議により最終判断をした。

3. 結果
3-1. Type of recommendation(推奨の有無)(図2)
本評価ガイダンスの結果において、HSTでの集計対象27件のうち、Recommended(推奨)が26件(96%)に対して、Not recommended(非推奨)が1件(4%)であった。
参考までに、NICEにおいて一般的に医薬品が評価される枠組みであるTA(2024年8月29日時点)では、全数1336件のうち、Recommendedが589件(44%)に対して、Not recommendedが162件(12%)という状況であり、両者を比較すると、HSTの方がTAよりもかなり高かった。
また、1件のみNotrecommendedであったHST27について、その理由の一つとしてPASの申請がなされなかったことが推察される(本事例はスコットランドのNHSでは条件付きで推奨されている12))。PASは高額薬剤について製薬企業が申請し、適用が認められた場合には、患者に負担を課すことなくNHSでの使用が可能となるものであり、NICEからNot recommendedの評価が出た場合でも、製薬企業がPASの提案をして、PASが承認されれば、Recommendedとなるよう価格を割引する仕組みである13)。なお、27件のうち2件にMAAが締結されていた。MAAは希少疾病など治療効果の不確実性の大きな医薬品について、NICEが期限を切って推奨することで早期アクセスを実現する仕組みであり、PASもMAAの枠組みの中の一つである14)。PASおよびMAAについて、表1ではSchemeに記載している。

3-2. Carer(介護者等のQOLへの影響)(図3)
Carerに関して、集計対象27件のうち、評価ガイダンスで定量的にICERに組み込まれてかつ定性的にも意思決定に考慮されたと記載があるものは5件(18%)であり、定量的にICERにのみ組み込まれたもの(定性的な意思決定の考慮はなし)は8件(30%)であった。
また、定量的にICERには組み込まれていないものの定性的に意思決定に考慮されたと記載があるものが7件(26%)であり、評価ガイダンスで言及はされているが意思決定に考慮されたかどうかが不明瞭なものが4件(15%)であった。そして、評価ガイダンスで言及がなかったものが3件(11%)という結果となった。さらに細分化した集計結果(図4)は後述する。


3-3. Innovation(イノベーション)、Equity(公平性)に関する結果(図5)
HSTの集計対象27件のうち、Innovationに関する評価として、定性的に意思決定に考慮されたと記載がある事例として3件(11%)、評価ガイダンスで言及はされているが意思決定に考慮されたかどうかが不明瞭な事例が17件(63%)、評価ガイダンスでは言及がなされていない事例が7件(26%)あった。Equityについては、定性的に意思決定に考慮されたと記載がある事例は4件(15%)、評価ガイダンスで言及はされているが意思決定に考慮されたかどうかが不明瞭な事例が22件(81%)、評価ガイダンスでは言及がなされていない事例が1件(4%)確認できた。

4. まとめ・考察
4-1. Type of recommendation(推奨の有無)(図2)
TAとHSTにおけるRecommendedの割合を比較すると、TAが44%に対して、HSTが96%であり、HSTはTAよりも割合としてかなり高い傾向があった理由として、HSTで評価された場合、ICERの基準値が大きく引き上げられることに加え、アプレイザルの過程で定性的な要素(家族の負担や患者の社会参加可能性など)がTAよりも意思決定に考慮され、推奨の判断に加味されることもある8)ことが影響していると推察される。
4-2. Carer(介護者等のQOLへの影響)(図4)
HSTの集計対象27件のうち24件(89%)という高い割合で、Carerの要素に対する定量的なICERへの組み込みまたは定性的な意思決定への考慮、もしくは言及がなされていた。
そのうち20件(74%)においては、定量的なICERへの組み込みまたは定性的な意思決定への考慮がされており、高い水準であった。
また、細分化した切り口で見ると、定性的な意思決定への考慮の有無に関わらず定量的にICERに組みこまれた割合は48%、定量的なICERへの組み込みの有無に関わらず定性的に意思決定に考慮された割合は44%という結果であった。
Carerの要素が、高い割合で定量的なICERへの組み込みまたは定性的に意思決定に考慮されていた理由の一つとして、Carerの要素は、NICEのマニュアルの中で「患者やその介護者にとって重要となる健康関連QOLは費用効果分析に含めてもよい」とされている点があげられる11)。また、HSTの選定基準にもあるとおり、重度の障害を伴う疾患が多い点や小児の疾患においては高い頻度において親の看護が伴うといった点等、より顕在化しやすい要素であることが推察される。加えて、Patient experts15)やClinical expertsの意見も十分に検討のうえ、社会的便益のある要素は意思決定に考慮されているケースも少なくない。例えば、HST17の事例において、介護に伴う時間の負担(労働時間の減少や介護のため長期間の休みを必要とすること)、経済的な負担、通院回数についてのコメントが明記されており、薬物治療によりこれらの負担が軽減する可能性が認められ、意思決定に考慮されたことが報告されている2)。
4-3. Innovation(イノベーション)、Equity(公平性)(図5)
Innovationの要素は、技術的な観点だけでなく患者にもたらすベネフィットの大きさを評価するもの16)であり、例えば、患者のアドヒアランスが向上するような剤形の工夫や治療ニーズが高いような疾患に対する治療法の確立、新しい作用機序を有する薬剤の登場は、治療選択肢を増やし、治療満足度を高めるためには非常に重要な要素である。今回の結果においてInnovationを定性的に意思決定に考慮した事例は、3件(11%)であったが、言及はされつつも意思決定に考慮されているかは不明瞭であった事例も含めると20件(74%)であった。具体的には、HST25では「当薬剤による治療が病気の進行を防ぎ、腎結石処置の回数を減らし、透析や移植の必要性を減らすことができるという点を評価し、意思決定に考慮した」と定性的な意思決定への考慮が明記されていた17)。こうした処置や手術等の侵襲的治療の回避といった患者にとってのベネフィットというものが、Innovationの要素としてICERとは別に医療技術の価値として的確に意思決定に考慮されていることが確認できた。
Equityの要素は、「貧富に関わらず、一定水準の医療を受ける権利は保証されるべきである18)」とされているが、最近の「ISPOR(International Society for Pharmacoeconomics and Outcomes Research)2024」の学会報告においても、経済格差が健康被害に繋がるという課題等についての発表がなされている19)。費用効果分析の結果を保険償還可否の判断の1要素として使用している英国においても、超希少疾病に対する優れた医薬品への早期のアクセスを確保するためにも優先されるべき要素の一つとして重要視されてきているのではないかと推察する20)。今回の結果でEquityが定性的に意思決定に考慮された事例は、4件(15%)であったが、言及はされつつも意思決定に考慮されているかは不明瞭であった事例も含めると26件(96%)であった。例えば、HST31では「当該疾患に関して、黒人、アジア人、その他の少数民族の背景を持つ人々は、白人の民族的背景を持つ人々よりも低いBMI基準値で心代謝系の健康リスクが増加するが、当薬剤は民族に関係なく等しく適用される」と結論付け、Equityの要素として意思決定に考慮されている事例21)があった。
Innovationの要素、Equityの要素ともにCarerの要素に比べると割合は少ないが、ICERでの定量的な評価の他に定性的な意思決定の要素として一定数が考慮されている点は重要であると考える。
また、本稿の表1では記載をしていないが、評価ガイダンスにおいて、Otherfactors(その他の要素)の要素として、例えばHST11では「小児の視力維持に関連して捉えきれていないベネフィットがかなりあり、意思決定において定性的に考慮した」といったUncaptured benefitsとして考慮されているという事例22)があり、こうした例はまだごく少数ではあるが、NICEの意思決定要素として重要視する傾向があることを読み取ることができ、ICERでの定量的な評価に定性的な要素を考慮して補完するというNICEのアプレイザルの特徴の表れであると推察される。
5. おわりに
本稿は、2024年6月6日時点でNICEのwebサイト3)に掲載されているHSTの評価ガイダンスを対象とし、医療技術の推奨事項の判断に起因したICER以外の意思決定要素とその傾向を調査した。
HSTの評価ガイダンスにおいて、医療的な価値以外の一つとしてCarerの要素がICERでの定量的な評価または定性的に意思決定に考慮がされた割合は74%と高い水準にあった。これは、HSTの対象となる疾患が非常に重篤な疾患であるため、より顕在化しやすい要素であると考えられる。
また、ICERでは定量的に評価・補足できない他の要素として、InnovationやEquityはそれぞれ11%、15%と一定数の報告が確認され、医療技術の価値を適切に評価するためにはICER以外の要素を検討する重要性が上述した評価ガイダンスのいくつかの事例でも示唆された。
今回の調査結果により、英国のHSTという選定基準を満たした極めてアンメットメディカルニーズの高い疾患についてではあるものの、臨床試験から得られる有効性や安全性、医療経済性の観点の他に社会的に便益をもたらす要素も含めて、医薬品の多様な価値として意思決定に考慮のうえ評価されている傾向が確認された。医療財政が逼迫する中でもHSTにおける革新的な医療技術の適切な価値評価の実態を把握するためには、ICERの他に意思決定に考慮された要素の動向を注視する必要があると考える。
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1)
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2)医薬産業政策研究所「英国NICEのHSTから見る医薬品の価値評価」政策研ニュースNo.67(2022年11月)
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3)
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4)
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5)
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6)新しい治療(薬)を使用したときにかかる追加のコストを、新しく得られた追加の効果(効用)で割ったもの
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7)Quality-adjusted life year(質調整生存年):TAやHSTの費用効果分析において用いられるアウトカム指標で、生存年数と健康関連QOL(効用値)の積で求めることができる
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8)五十嵐中、「ラクスターナ、英NICEで給付推奨」、間違いだらけのHTA、医療経済 10.1.2019
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9)HST2、HST3、HST6の3件はwebサイト上に掲載なし、HST15はHST24として部分的に更新されていたため同一ガイダンスとみなして除外した
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10)ICERは、PAS(Patient Access Scheme)により掲載されない場合があり、掲載されていないものは「未掲載」、Weightでは掲載のないものについて「不明」とした
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11)
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12)
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13)
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14)医療経済研究機構令和5年度薬剤使用状況等に関する調査研究報告書医療経済研究機構(令和6年3月)
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15)NICEのwebサイト上において、Patient expertsはHST評価の議論に参加し、評価中の治療(薬)に関する患者の経験について回答する役割を有する者と掲載
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16)医薬産業政策研究所「医薬品の社会的価値の多面的評価」リサーチペーパーNo.76(2021年3月)
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17)
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18)医薬産業政策研究所「医薬品の多様な価値—国民視点および医療環境変化を踏まえた考察—」リサーチペーパーNo.79(2022年3月)
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19)
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20)
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21)
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22)