Points of View 日常生活で取得されるデータの利活用について ~リビング・ラボ(Living Lab)の取り組み~

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医薬産業政策研究所 主任研究員 中塚靖彦

1.はじめに

IoTの技術進化と並行して、通信技術の進化や通信環境の整備、SNSの普及などにより、モバイル、ウェアラブル機器やセンサー等から、生体関連情報を常時収集したり、生活者の感情や思考をリアルタイムに収集したりする仕組みが実現しつつある。そのような中、COVID-19感染流行下においては、モバイルやウェアラブルデバイスの活用、オンライン診療などテクノロジーやソリューションを活用した臨床試験の高度化・効率化の取り組みが急速に進展しはじめた。

また、そのようなテクノロジーの進展により得られるデータとして、主に医療機関や研究機関で取得するゲノム・オミックスや電子カルテ等のデータはもちろんのこと、医療機関以外で取得されるデータ活用への注目も高まりつつある。例えば、各種健診や母子手帳、予防接種記録などのデータ、モバイルアプリやウェアラブルデバイス等で取得される活動量、睡眠、QOL等のデータ、さらにはSNSへの投稿、天気や気温、OTC薬購買記録などのデータである。さらには、こうした医療機関以外のデータを単独、あるいは医療機関のデータと組み合わせて活用しようとする動きがある1)

医薬品開発においてはこれまで主に医療機関や研究機関で取得される医療データ(臨床検査値、画像、診断所見等)の活用が中心であったが、「医師主導の医療」から「患者中心の医療」へとパラダイムシフトが進展する中2)、患者の状態をより詳細に把握・理解することへのニーズが高まっている。デジタルデバイスからのデータは、リアルタイムに患者のデータが収集可能となる。そのような日常生活における患者のデータを取得することが可能になると、臨床試験で得られる医療機関のデータより、患者の実生活に即したデータを収集・解析することも可能となることが予想される。また、今後は病気に罹患している患者だけでなく健常な人(市民)からもPHR(Personal Health Record)を取得することができる環境が整ってくることが予想される。

本稿では、市民との接点をどのように構築し、PHRを活用するためのひとつの提案として、ユーザーを交えたイノベーション活動であるリビング・ラボ(Living Lab)について取りあげた。

2.リビング・ラボ(Living Lab)とは

リビング・ラボは1990年代前半に米国で取り組みが始まり、2000年以降、北欧諸国(フィンランド等)を中心に急速に拡大してきており、現在は400件以上のリビング・ラボが全世界で存在していると言われる。欧州ではEuropean Net Work of Living Lab(ENoLL)3)と呼ばれるリビング・ラボのネットワーク組織が構築されており、2020年9月現在、ENoLLに登録されているリビング・ラボは全世界で150件以上あり4)、2015年の図となるが、ENoLLに登録されているリビング・ラボを有する国を図1に示す。

ENoLLに登録されているリビング・ラボを有している国は欧州以外にも米国、中国、インド等様々な地域で行われていることがわかる。日本国内でもすでに様々な地域でこのような場が生まれている。

図1 Worldwide distribution of historically accredited Living Labs(2015)

リビング・ラボではユーザー(市民)だけでなく、サービス開発を目指す企業、地域の課題解決を目指す自治体やNPO法人、地域に関する研究を行なう大学などの研究機関など、様々なステークホルダーが参加することとなる。ENoLLに加盟しているリビング・ラボでの割合は図2の通りであり、大学(37%)、研究機関(33%)、行政(7%)、企業(23%)であった。

図2 ENoLL Members who are They?

リビング・ラボの活動領域についても、ENoLLに加盟しているリビング・ラボの調査結果が2015年に報告されている。(図3)

活動領域としてはHealth & Wellnessが52%と1番多い割合を占めており、次いでSocial Innovation(41%)、Social Inclusion(39%)、Smart Cities(33%)、Energy(20%)という結果であった。Health & Wellnessは、主に高齢者の健康管理や生活向上のための活動であり、Social innovationは社会問題の解決を継続的に行なうための事業化を目指す活動である。現状のリビング・ラボは、企業が新製品や新サービスの開発につなげるというよりは、地域の課題についてユーザー(市民)も参加することで解決しようとする目的が多い傾向にある。

図3 ENoLL Area of Work

リビング・ラボの活動としてはいくつかの類型があり、本稿では5つの類型に分類したものを参照とした5)

  1. 技術のショールーム:テクノロジーを展示する型
  2. TestBed:①の型のように展示したものを見るだけではなく、実際に体験できる実証実験の型
  3. 生活の場(家など)での実践:実際に課題のある事に関しヘルスケア・テクノロジーを導入、コンセプトを試すために生活の場に取り入れる型
  4. 生活に根付いたプラットフォーム(持続的な):生活の場での長期的なリビング・ラボという点は③と変わらないが、多様なステークホルダーを巻き込んで行われる持続的な仕組みの型
  5. 相互補完的な多文化プラットフォーム:リビング・ラボは、社会文化的背景に大きく影響を受けるが、よりスケールしやすい形の相互補完型

製薬産業としては②や③の型で、モバイル機器やICT技術の試行等を行い、患者や生活者の様々なデータを取得し、活用していくケースが想定される。例えば、リビング・ラボの名称は使用されていないが、ファイザー社とIBM社は家の中でのパーキンソン病患者の動きを把握し、治療薬の効果を検証する取り組みを2016年に行っている。設置された家の中では、冷蔵庫の取っ手やキッチンの食器棚から椅子やベッドまで、パーキンソン病の重要な指標である患者の動きの微妙な変化に反応するセンサーが取り付けられ、患者データをリアルタイムに収集し、病気の症状を24時間体制で把握できる。この取り組みでは、日常生活に即したリアルタイムに収集したデータを分析し、パーキンソン病の進行および医薬品の有効性評価ができるかを検証している6)。この活動は②の類型に近いものと言える。

3.リビング・ラボ ~海外の活動~

北欧のデンマークのコペンハーゲン市では、デンマーク工科大学(DTU)、コペンハーゲン大学などのアカデミアと、メディコンバレー7)、コペンハーゲン・ヘルステック・クラスタ8)といったライフサイエンス・ヘルスケア関連クラスタを背景として、TestBedやヘルステック・イノベーションに特化したリビング・ラボが多く存在している。

これらコペンハーゲン市内にあるリビング・ラボ施設が連携したのが「Living Healthtech Lab」9)であり、パーソナルレジストリ(電子健康データ)に遠隔・在宅医療、e-health、などを組み合わせたテストハブに、ITリテラシーの高い市民が参画することで、イノベーションの創出を試みている。

同じくデンマークのオーデンセ市は、大学、企業、地域住民を巻き込んだリビング・ラボ「CoLab」の実践を進めている。同市では大規模な新病院の建設計画が進行中で、医療・福祉に関連する多くの新技術が採用される見込みだが、CoLabは、その新しい医療の場で求められる技術やサービスを模索する場になっている。ここでは、医療機器やIoT機器などの実証実験が行われている10)

また、北欧のコペンハーゲン、ヘルシンキ、レイキャビクの3都市が参加し、高齢者や健康・ウェルビーイングに特化した北欧地域のリビング・ラボの強力なネットワークを集約する目的で「Nordic Business and Living Lab Alliance」と呼ばれるヘルスケア分野のリビング・ラボの国際連携も行われている11)

4.リビング・ラボ ~国内の活動~

ヘルスケア領域における国内の活動としては産業技術総合研究所(産総研)が取り組んでいる「産総研リビングラボ」が挙げられる。「産総研リビングラボ」では、①問題を明確化するための観察技術、②見守り支援技術、③生活システムデザイン支援技術等の人工知能技術を用い、生活機能変化者の生活支援のための実証実験を行っている。実際の現場を想定した仮想実験・仮想環境で技術開発・検証する基礎研究から、サテライトリビングラボ環境の連携 介護施設・病院などの現場や実際の地域と連携して、実環境において検証や効果評価(インパクト評価)を支援する実証研究までをシームレスにつなぐ国際的にも類のないリビング・ラボ環境を構築している。

同様に産総研が取り組んでいる「柏リビングラボ」では、キッチン、風呂、トイレなどを含む模擬生活環境や、温度湿度を調整できる人工気候室を保有し、ロボット介護機器開発・導入プロジェクトにおける多くのメーカへの開発支援を通じて、ロボットの安全性や効果・性能の評価に関して取り組んでいる。多様な意見を集めるため、介護ロボットの研究者に加えて、柏地域の介護関係者および住民参加型のワークショップを開催している12)

多種多様なステークホルダーにイノベーションを興す仕組みとしては、弘前大学COI(センター・オブ・イノベーションプログラム)のような活動もリビング・ラボと同様の活動であると捉えることができる。

弘前大学COIでは、健康長寿に対する課題地域としての地域特性を背景に、約2,000項目にわたる超多項目の健康ビッグデータを構築し、生活習慣病や認知症に対する疾患危険因子の特定、疾患予測アルゴリズムの開発、最適予防・サポートシステムの開発等を行っている。この中には、ゲノム等の分子生物学的データ、血液検査等の生理・生化学データ、睡眠・食事・喫煙といった個人生活活動データ、労働環境や経済力といった社会環境的データが含まれている。こうした非常に膨大な検査項目に関して、毎年約1,000名の地域住民の協力のもと、14年間実施されたデータ(延べ2万人)が蓄積されている。このCOIには、製薬、医療機器、食品、ヘルスケア、保険などの多数の企業が共同研究として参画しており、企業が測定したい項目を追加で健診項目に組み込むことで、他の項目との関連性を検討できる場となっている1)。

5.リビング・ラボのメリット・デメリット

日本も含め様々な地域でリビング・ラボの活動は行われているが、リビング・ラボで活動することのメリットをステークホルダーごとに記載する。

  1. (1)
    ユーザー(市民)

    リビング・ラボの活動を通じて、問題に対して自分の意見を伝えることができるというのが大きなメリットのひとつとなる。またリビング・ラボの活動を通じ、当事者自身の生活の質の向上及び当事者への価値還元につながることが考えられる。

  2. (2)
    企業

    従来のインタビューやマーケティングリサーチと比べてユーザー(市民)との関係が深くなることが想定され、効率的かつ効果的に従来企業が把握できていなかった潜在的なニーズを把握することができる。従来は製薬産業が得ることが難しかった健常者のデータ(バイタルや日常生活)などを活用することが可能となり、医薬品の開発だけでなく市民のヘルスケア向上に向けた取り組みにもつなげられるであろう。さらには、企業活動とユーザー(市民)との関係が深くなるため、長期的な関係性を構築することが期待できる。

  3. (3)
    行政

    リビング・ラボで取り扱われる社会課題は、行政が解決しなくてはいけない課題であることが多く、ユーザー(市民)が意見を出し合うことで、行政側が認識していなかったような地域の問題が明確になる。また、行政が関わることにより、多くのユーザー(市民)に行政施策の認知を高めることが可能となり、中長期的な地域計画の策定に、ユーザー(市民)の意見を組み込むことにより、市民の理解を得やすくなり、直近の当事者ニーズのみに左右されない長期的な地域力の向上を図ることができる。

一方、リビング・ラボを活用する上でのデメリットも存在する。リビング・ラボで関わるステークホルダーは上述した通り様々なステークホルダーが参加することとなる。ステークホルダーが多くなることにより、結論が纏まりづらいことが挙げられる。また、企業が取り扱う情報は、機密事項が含まれることも多くあり、市民が参加するリビング・ラボでは情報漏洩等情報のコントロールが難しい面もでてくる可能性がある。

6.まとめ

ここまでリビング・ラボの取り組みについて取り挙げたが、ヘルスケア分野のリビング・ラボでの取り組みは高齢者の健康管理や介護への取り組みにとどまっているのが現状である。製薬産業がリビング・ラボのような取り組みに積極的に介入することにより、従来の医療機関から得られる情報だけにとどまらず、実際の生活者の疾病兆候や生理学的動向(バイタルデータなど)の把握、行動の把握、アウトカムデータ(Patient Reported Outcome含む)の収集、及び分析結果の市民に対するフィードバックといったサイクルを構築することが可能となるであろう。モバイル機器、センサー等、IoT機器の進展はこれをさらに加速化するものと考えられる。

製薬産業が医療用医薬品を開発するにあたり、治療へのニーズや治療効果に関する情報は、医療機関が行う治療、臨床試験や臨床研究を通して入手しており、個別の患者と直接コンタクトをとることは少なく、その必要性も今までは小さかった。そのため、リビング・ラボのような取り組みに参加せずとも医療用医薬品の創出は可能であったが、製薬産業が治療に対するアプローチだけでなく、予防・先制医療や介護など、市民のヘルスケア全般に関わっていくことを考えると、医療機関にある患者のデータのみならず、健常者も含めた市民のデータを有効的に活用する必要性がでてくる。既に、臨床試験の現場ではePROの活用など日常に近い患者のデータ取得の動きが活発化しているが、健常者のデータを活用する上で、参加者(市民)の研究への関与が高いリビング・ラボのような仕組みを用い、「日常に即したデータの活用」を考えていくことも重要であろう。

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