Topics 本邦における次世代ヘルスケアの現状 -2010年~2020年の製薬企業、政府・省庁動向を中心に-

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医薬産業政策研究所 統括研究員 伊藤 稔

1.はじめに

次世代ヘルスケアを捉える上では、種々の考え方があるが、日本経済団体連合会が「Society 5.0時代のヘルスケア」1)にて提示した姿は、ヘルスケアの将来像を適切に示した考え方の1つと思われる。即ち、①医療技術の深化・高度化並びに②ヘルスケアサービスの範囲拡大との2軸で次世代ヘルスケアを捉える考え方である。

図1 新たなヘルスケアサービスの展開

本稿では、この2軸に着目し、2010年から2020年上半期の本邦における製薬企業の動向と政府・省庁の動向を対比させながら俯瞰することで、製薬企業にとっての次世代ヘルスケアの現状を明らかにすることを目的に調査分析を行った。

2.調査方法

2010年1月1日から2020年6月30日を調査期間とし、各種メディア2)から情報を収集した。メディアの選定に際しては、製薬企業の情報が比較的リッチな医学系メディアを中心に選定した。

次世代ヘルスケアを、①未病・予防、②診断・治療、③予後・共生の3フェーズに分割して考えた。①では「未病」「発症予防」「重症化予防」等を、②では「個別化医療」「プレシジョンメディシン」「オーダーメード医療」等を、③では「予後」「共生」等の各キーワードより情報を収集し、重複は排除した。収集した情報については、可能な限り追跡的な調査を行い、製薬企業の情報についてはプレスリリース等の情報を、政府・省庁の情報については公表されている情報・資料を調査した。

集計に際しては、「製薬企業・医薬品卸業」「アカデミア・研究機関」「政府・省庁」「日本医師会・各健保3)」「ベンチャー・異業種(製薬協加盟企業以外の企業)」「その他(患者団体等)」に主体を分類した。

なお、本調査は限られたメディアを対象とした検討であり、次世代ヘルスケアの動向を限定的にしか捉えられていない可能性があることは冒頭に申し述べる。

3.「未病・予防」フェーズにおける動向

「未病・予防」フェーズは、次世代ヘルスケアの2軸の内、特にヘルスケアサービスの範囲拡大に色濃く関係すると思われる。今後ヘルスケアの重心が、病気治癒を中心とする医療から、病気の前段階の未病ケアや予防にシフトするとの指摘もある。1)

「未病+発症予防+重症化予防」とのキーワードで確認された情報の件数は延べ156件であった。図2に結果を示す。

図2 「未病・予防」フェーズの動向~「未病+発症予防+重症化予防」に関連する件数~

2010年から2018年においては、「製薬企業・医薬品卸業」(以下、「製薬企業等」)の動向はあまり活発とは言えず、「政府・省庁」の動向が目立つ傾向があった。特に2012年においては急速にその件数が増加し、続く2013年も同様の傾向が見られた。以下に代表的な事例を示す。

2012年7月には、厚生労働省により「二十一世紀における第二次国民健康づくり運動(健康日本21(第二次))」が公表された。「健康日本21(第二次)」では、健康寿命の延伸と健康格差の縮小と共に、生活習慣病の発症予防と重症化予防の徹底が謳われ、がん、循環器病、糖尿病及びCOPDの一次予防並びに合併症発症や症状進展等の重症化予防に重点をおいた対策を推進する旨が示された。4)

また、2013年12月には、経済産業省により「次世代ヘルスケア産業協議会」の第1回会合が開催され、成長産業としてのヘルスケア産業への期待や、健康寿命延伸分野の市場創出及び産業育成に向け、官民一体で具体的対応策の検討を行う場として同協議会を設置する旨が示されている。5)

2016~2018年にも「政府・省庁」において、比較的活発な動きが見られる。2016年3月には、厚生労働省が日本医師会、日本糖尿病対策推進会議と連携協定を締結し、糖尿病性腎症重症化予防プログラムの策定に乗り出し、同年4月には国版プログラムとして公表され6)、全国96自治体への実証支援が開始された。2018年9月には、「健康日本21(第二次)」中間評価報告書が纏められ、がん、循環器疾患、糖尿病及びCOPDの各疾患について状況、取組、今後の課題・対策が個別に示された。7)

以上のような「政府・省庁」の活発な動向の背景には、「経済財政運営と改革の基本方針について」(平成25年6月14日閣議決定)8)において示された「日本再興戦略」の考え方が影響していると思われた。同戦略では、戦略市場創造プランのテーマの一つとして、『国民の「健康寿命」の延伸』が掲げられ、同年8月には健康・医療戦略推進本部が設置されている。8)

その後、こうした産業振興的な側面と共に、社会保障制度の維持との側面においても「健康寿命の延伸」に脚光が当てられるようになり、その手段の一つとして「未病・予防」も重要性が増していったと思われる。2040年を見通した場合、現役世代の減少を最大の課題と捉え、国民誰もがより長く元気に活躍できるような全世代型社会保障の構築に向け、進めるべき取り組みの一つとして「健康寿命延伸プラン」が示された。同プランの中では、①次世代を含めたすべての人の健やかな生活習慣形成、②疾病予防・重症化予防、③介護予防・フレイル対策、認知症予防が推進すべき3分野とされた。10)

このように、「未病・予防」フェーズにおいては、永らく政府・省庁の動向が中心的であったが、2018年以降、「製薬企業等」においても情報件数が増大する傾向が見られた。以下に代表的な事例を示す。

2019年7月には、東和薬品が国立循環器病研究センターと共同研究を開始し、テーマの一つとして「疾患予防、健康維持・増進」:循環器領域での生活習慣病予防や健康維持・増進に、健康食品などを活用するためのエビデンス構築を目的とする臨床・疫学研究が掲げられた。11)

2019年9月には、アストラゼネカ株式会社が日立製作所とCOPD発症にいたる経緯及び発症後の予後に関する共同研究提携に合意し、日立製作所が持つ数万人の健康診断データを基に、COPDのリスク因子解析を行う旨が公表された。12)

2018年以降に「製薬企業等」においても「未病・予防」フェーズでの情報件数の増大が見られるようになった背景を考察した場合、前述の政府・省庁の活発な動きが少なからず影響していると考えられる。また、デジタルを中心とする技術進歩やその成果の受け入れを容認する社会環境の変化も影響を与えていると思われる。

更に、市場環境の変化が、「製薬企業等」の取り組みを後押ししている可能性がある。今後、日本の医療費は拡大する一方、日本の医薬品市場はマイナス成長に突入すると想定される。医薬品のみを提供するビジネスモデルには限界があり、「未病・予防」等の公的医療保険外へビジネスの幅を広げようとする動きが見られる。こうしたヘルスケアサービスの範囲拡大を、ヘルスケアソリューションを提供するビジネスモデルとして捉える考え方も出てきている。13)また、通常の創薬に比し開発コストを低減できることも、取り組みを促進していると考えられる。

「未病・予防」への取り組みは、「製薬企業等」の今後の持続的成長のための戦略の一つと思われるが、事業性の観点より成立し得るか、また従来の医薬品事業とシナジーが望めるかなどの課題があり、今後の動向を慎重に注視する必要がある。

4.「診断・治療」フェーズにおける動向

「診断・治療」フェーズは、次世代ヘルスケアの2軸の内、医療技術の深化・高度化の軸に関連が深いと思われる。デジタル技術及びバイオ技術の進歩により、従来型の平均的な患者・症状に対する画一的な診断・治療が、次世代ヘルスケアでは個別化され、適切なタイミングで必要なヘルスケアサービスが受けられるようになるとの指摘がある。1)

「個別化医療+プレシジョンメディシン+オーダーメード医療(以下、個別化医療等)」とのキーワードで確認された情報の件数は延べ119件であった。図3に結果を示す。

図3 「診断・治療」フェーズの動向~「個別化医療+プレシジョンメディシン+オーダーメード医療」に関連する件数~

「未病・予防」フェーズとは状況が異なり、「政府・省庁」の動向が見られたのは2014年以降であった。以下に代表的な事例を示す。

2014年4月には、厚生労働省、文部科学省、経済産業省の3省により「がん研究10か年戦略」が策定され、日本発のコンパニオン診断薬を含むがん診断薬や、分子標的治療薬をはじめとした個別化治療に資する治療薬の研究開発を強力に推進すべき旨が示された。14)

2015年9月には、厚生労働省により「医薬品産業強化総合戦略」が公表され、ゲノム医療の実用化をより一層推進するため、全ゲノム情報等の集積拠点を整備し、集積・解析した情報を医療機関に提供することで個別化医療の推進を図る旨が示され、同情報の企業による活用等を推進することで国内臨床研究開発の加速を図ることが示された。15)

こうした「政府・省庁」の動向を俯瞰した場合、2016年6月に開催された第8回経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議において「日本再興戦略2016」が策定され、大きな方針が示されたことは、個別化医療等のその後の展開に少なからず影響を与えたと想定される。同戦略では、2015年4月に発足した国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)において、基礎研究から実用化まで切れ目のない研究管理・支援を行うことにより、日本発の革新的な医薬品等の創出に向けた研究開発を推進するとの方針示され、具体的テーマの一つとしてオーダーメイド・ゲノム医療が掲げられた。また、患者の個人差を踏まえた個別化医療といった先端技術を活用し、効果的な医療を実現する旨も示された。16)

「政府・省庁」における個別化医療等の動きは、その後より具体的な方向に進んでおり、2019年12月には、厚生労働省により「全ゲノム解析等実行計画(第1版)」が策定され、がんの克服を目指した全ゲノム解析等を活用するがんの創薬・個別化医療、全ゲノム解析等による難病の早期診断に向けた研究等を着実に推進するため具体的実行計画を策定することが示された。17)「政府・省庁」の動向は、大きな方針の決定後、漸く具体的な実行段階に入りつつあるといえる。

一方で、「製薬企業等」を俯瞰した場合、2018年よりやや情報件数が増加する傾向が見て取れるが、「未病・予防」フェーズのような特徴的な傾向は見られなかった。個別化医療等に対する「製薬企業等」の動向は、その多数が、がん領域を中心とした分子標的薬やコンパニオン診断薬に関するものであり、がん領域における個別化医療への「製薬企業等」の貢献を見て取ることができた。一方で、生活習慣病等の他の疾患における個別化医療の具体的な動きは、今回の検討ではあまり見られなかった。

前述の通り、全ゲノム解析等のナショナルプロジェクトは端緒についたばかりであり、その成果を「製薬企業等」が活用可能となるには更なる時間を要すると思われる。より一層個別化され、効率的かつ効果的でリスクが低減された個別化医療が、より幅広い疾患で早期に実現されることを期待しつつ、今後の動向を注視していきたい。

5.「予後・共生」フェーズにおける動向

「予後・共生」フェーズは、次世代ヘルスケアの2軸の内、ヘルスケアサービスの範囲拡大に主に関係すると思われる。健康寿命延伸のためには、診断・治療に加えて予防の重要性が増すと同時に、罹患しても出来るだけ制限を受けずに生活していく、すなわち、疾病と共生していくための取組を講じていくことが望まれているとの指摘があり、「疾病と共生」との言葉で「予後・共生」フェーズの重要性が語られている。18)

「予後+共生」とのキーワードで確認された情報の件数は延べ232件であった。図4に結果を示す。

図4 「予後・共生」フェーズの動向~「予後+共生」に関連する件数~

「政府・省庁」の動向は2010年から見られるが、医療経済評価や費用対効果評価における生命予後に関連した情報が多く、ヘルスケアサービスの範囲拡大に資するような「予後・共生」関連情報が見られるようになるのは2015年以降であった。以下に代表的な事例を示す。

2015年12月には、厚生労働省により「がん対策加速化プラン」が公表され、同プランの3つの柱として、がんの予防、がんの治療・研究と共にがんとの「共生」が提示され、就労支援や緩和ケア等を含む包括的支援により「がんと共に生きる」ことを可能にする社会の構築が目標とされた。19)

その後も、厚生労働省のがん対策推進協議会による検討が重ねられ、2018年3月に「がん対策推進基本計画(第3期)」(平成30年3月9日閣議決定)が公表された。同計画において「がんとの共生」が全体目標の一つとして掲げられ、がんになっても自分らしく生きることのできる社会を実現する旨が示された。20)

2019年6月には、認知症施策推進関係閣僚会議により、「認知症施策推進大綱」が策定され、「共生」と「予防」を車の両輪と位置づけ、認知症の発症を遅らせ、認知症になっても希望を持って日常生活を過ごせる社会を目指すことが示された。21)

「政府・省庁」の動向を俯瞰した場合、2020年6月に閣議決定に至った「健康・医療戦略」(令和2年3月27日閣議決定)は、今後大きな影響を与えると思われる。健康・医療戦略は、平成26年7月22日閣議決定版、平成29年2月17日一部変更版が策定されているが、これらには「予後・共生」との記載は見られない。令和2年3月27日閣議決定版で、初めて「予防・進行抑制・共生型」の健康・医療システムの構築を目指す旨が示された。

また、それまではがん・認知症等の個別疾患対策に留まっていた「共生」の概念が一気に拡大された。健康寿命延伸のためには、がん・糖尿病・高血圧疾患などの生活習慣病、筋骨格系・骨折・眼科などの運動器系・感覚器系や、老化に伴う疾患、認知症などの精神・神経の疾患への対応が課題として示された。こうした疾患への対応として、診断・治療に加えて予防の重要性が増すと同時に、罹患しても日常生活に出来るだけ制限を受けずに生活していく、疾病と「共生」していくための取組を車の両輪として講じていくことが望まれている旨が示された。更に、ヘルスケアサービスには、狭義のヘルスケア(健康の保持・増進)に資する取組に限らず、疾病の予防・共生に資する取組を含む旨も明示された。18)

このように、「予後・共生」フェーズにおいては、漸く「政府・省庁」の方向性が定まりつつあると思われる。一方、「製薬企業等」に目を向けた場合、調査期間を通じて、それなりの情報件数が散見されるが、その多くは、予後不良疾患への対応としての治療薬開発に関するものであり、疾病と「共生」していくための取組を講じていくような動きは、今回の検討ではあまり見られなかった。

こうした状況下において、2019年9月のエーザイ株式会社の動きは特徴的であった。同社は、東京海上日動火災保険株式会社(以下、東京海上日動)と認知症との共生と予防にむけて業務提携契約を締結した旨を公表し、同社の認知症領域における創薬活動や疾患啓発活動の豊富な経験知と、東京海上日動が有する保険商品・関連サービスで培ってきたノウハウやネットワークを相互に活用し、認知症との共生と予防の実施に向けて取り組む旨を示した。22)今後、他の「製薬企業等」においても、種々の疾患に罹患しても制限を受けずに生活していく、すなわち、疾病と「共生」していくための取組が拡大していく事に期待したい。

まとめ

本稿では、次世代ヘルスケアの2軸、すなわち①医療技術の深化・高度化並びに②ヘルスケアサービスの範囲拡大に着目し、本邦における動向を、「製薬企業等」の動向と「政府・省庁」の動向とを対比させながら俯瞰することで、「製薬企業等」にとっての次世代ヘルスケアの現状を明らかにすることを目的に調査分析を行った。

「未病・予防」フェーズにおける「政府・省庁」の動向は、戦略市場創造との産業振興的側面が当初は中心的であったが、その後、社会保障制度の維持との側面が大きくなり、「未病・予防」はその手段の一つとして重要性が増していったと思われた。一方、「製薬企業等」の動向は2018年以降拡大の傾向が見て取れたが、これには、「政府・省庁」の動向の影響、デジタル技術等の成果を受け入れる社会環境の変化に加え、今後マイナス成長に突入すると予想される市場環境の変化が影響していると思われた。「製薬企業等」は自らの生存をかけ、持続的成長のための戦略の一つとして「未病・予防」へビジネスの幅を広げようとしていると想定された。13)、23

「診断・治療」フェーズにおける「政府・省庁」の本格的な動向は、「日本再興戦略2016」が策定され、大きな方針が示されたことで本格化したと思われる。これにより国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の方向性も定まり、患者の個人差を踏まえた個別化医療といった先端技術を活用し、効果的な医療を実現する旨も明示された。近年は、「全ゲノム解析等実行計画(第1版)」が策定される等、具体的段階に到達しつつあると思われる。「製薬企業等」の動向では、分子標的薬やコンパニオン診断薬の開発など、がん領域における個別化医療への貢献を見て取ることができた。一方で、生活習慣病等の他の疾患における個別化医療の具体的な動きはあまり見られなかった。全ゲノム解析等のナショナルプロジェクトの成果を「製薬企業等」が活用できる日が一日も早く来ることに期待したい。本フェーズは医療技術の深化・高度化と関係が深いと思われるが、個別化医療・ゲノム医療に検討の幅が留まったことは、本稿の大きなリミテーションである。これは、「製薬企業等」の動向ががん領域において活発であり、「政府・省庁」の動向も同領域のゲノム医療でより具体的であったことによる。しかしながら、日本経済団体連合会が2020年7月14日に公表した「Society 5.0時代のヘルスケアⅡ~DXによるCOVID-19対応とその先の未来~」においては、新型コロナウイルス感染症の発生を機に、ヘルスケア分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)を通じた対応が急務とされた。24)今後はデジタル技術の深化・高度化について検討することがより一層重要になってくると思われる。この点については改めて検討していきたい。

「予後・共生」フェーズにおける「政府・省庁」の動向は、他の2フェーズに比し、具体的な動向があまり見られない状況であった。健康・医療戦略(令和2年3月27日閣議決定)の策定により、漸く方向性が定まりつつある状況であると思われ、先行しているがん・認知症以外の疾患については、今後の具体策を注視すべき段階にあると思われた。「製薬企業等」の動向においても、一部の先進的企業を除き、疾病と共生していくための取組はこれからであると思われた。

次世代ヘルスケアの目的の一つである健康寿命の延伸は、個人にとっても社会にとっても望ましい方向であることに疑いはないと思われる。次世代ヘルスケアの動向には今後も注目していきたい。

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