Opinion “Pharma as a Service”の実現に向けて データ駆動型ヘルスケアにおいて医薬品産業に求められるもの

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医薬産業政策研究所 主任研究員 佐々木隆之

はじめに

筆者は前号にて、データ駆動型ヘルスケアにおける「開かれたデータ」の重要性、ヘルスデータエコノミーにおける医薬品産業の役割等について論点を紹介した1)。データ駆動型社会で価値の源泉となるのがデータである、という視点から医薬品産業を俯瞰した場合、どのようなデータを提供しうるか、更にはサービス産業として医薬品産業がどのような価値を提供しうるか、という観点が発生する。デジタル化時代に、医療・ヘルスケアサービスをつなぐのは、まぎれもなくデータである。そして、これまでは臨床データやレセプトデータ、あるいは副作用情報といったデータを受け取る「データユーザー」であった医薬品産業も、ヘルスケアにおいて更なる価値を提供するにはデータプロバイダーの役割をも視野に入れることが求められる、という点を指摘した。

では、サービス産業としての医薬品産業は、果たしてどのような価値を提供しうるのか。本稿では、他産業における「as a Service」の目指すものも踏まえつつ、医薬品産業がどのような「as a Service」を提供できるのか、考えてみたい。

他産業にみる「as a Service」

(1) Mobility as a Service

「as a Service」の語が我が国で知られるようになったのは、ソフトウェア業界が必要な機能を必要な分だけサービスとして利用できるようにし、インターネット経由でこれを提供しはじめたSaaS(サース、Software as a Service)であろう。2008年には、経済産業省が「SaaS向けSLA(Service Level Agreement)ガイドライン」を定め、利用者とサービス提供者間が事前に合意すべき事項や望ましいサービスレベルに関する指針を示しており2)、ここ10年程度の間にSaaSの語も普及した感がある。

近年は様々な産業で「as a Service」の語を目にする機会も増えており、例えば移動関連産業では「MaaS(マース、Mobility as a Service)」という概念が使われだしている。国土交通政策研究所の露木によれば、MaaSは発達中の新しいサービスであり、先行する海外でも定まったものがないのが現状ではあるが、ICTを活用して交通をクラウド化し、マイカー以外のすべての交通手段によるモビリティを1つのサービスとしてとらえ、シームレスにつなぐ新たな「移動」の概念、とされている3)。また、日本政策投資銀行からは、スウェーデンの研究者による統合の程度に応じた段階分けが紹介されており、複数モードの交通提案や価格情報の提供といったレベルに始まり、予約や決済の統合や公共交通機関以外の手段の統合が進み、最上位のレベル4は政策の統合となっている4)。統合の高度化がすすむにつれ、小売、宿泊、医療・福祉、観光といった他産業との連携や、混雑ルートからの需要分散や価格設定による交通誘導といったリアルタイムでの最適化、更には人流データ収集によるバス路線の再編や、都市計画、インフラ整備、インセンティブ施策への利用などが想定されている。

もちろん、こうしたサービス提供の前提には、移動等に関するあらゆるデータの収集と統合がある。そしてここで大切なのは、様々なデータを共有、統合することで、当事者企業の利潤や生活者の利便性だけでなく、周辺産業の活性化や公益性の高い価値の創出をも目指している点である。

図1 MaaSのレベル分類(日本政策投資銀行 産業調査部発表資料4)より筆者改変)

(2) 民間保険業界にみるプラットフォーム、データプロバイダーの視点

本題に入る前にもうひとつ、当局に規制される産業でありながら「データ駆動型サービス産業への転換」を進めつつある産業として、民間保険の例を紹介したい。

民間保険は元来、法による規制が強く、他社との差別化が困難な産業であったが、2006年から約10年の間に段階的に進んだ保険業法上の規制緩和(保険グループ規制、相互会社規制、保険商品規制、保険募集規制、資産運用規制)により、多様なビジネスモデルを生み出すことが可能となった5)。そしてこれら規制緩和とともに、健康問題の浮上に伴う支払機会の増加、自動運転の発展など「もしも」の少ない社会の到来、シェアリングエコノミーや顧客主導型のリスク対応といった環境変化が進むなか、デジタルツールの特性(特に常時接続性、更に言えばタッチポイントの獲得)を活かし、データ収集/提供プラットフォームの構築やプラットフォームの他分野への提供を開始する企業も増えてきた。

例えば、民間保険の分野で時価総額世界1位の平安保険(中国)は、2014年に設立した子会社の提供するオンライン診療アプリ「平安好医生(ピンアン・グッド・ドクター)」でも注目されている企業である。平安好医生は24時間のオンライン問診、病院・検査の予約、遠隔診療から処方薬の宅配までを一気通貫で実現するアプリである。2019年9月の同社の情報では、3億人のユーザーを抱え、1日あたりの平均相談件数は65万件、月間アクティブユーザーは6,270万人に達している6)。3,000以上の病院や1万を超える薬局と連携し、提携病院を含めると3,000人以上の医師がオンライン診療に関わり、ここにAI問診を導入することで、従来の5倍の速度での診療を可能とした7)。このように平安好医生は、他に類を見ない優れたオンライン診療アプリであるとともに、e-コマース(Health mall)で医薬品、サプリメント、健康食品、医療機器等のネット通販にも取り組んでおり、売上の半分以上を占めているとされる8)。すなわち、デジタルツールを活かして顧客タッチポイントを獲得し、e-コマースに誘導するプラットフォームを築くことで、複数のマネタイズモデルを組み合わせ、顧客(受診者)に対し複合的に価値を提供していると言えよう。

我が国の事例としては、SOMPOホールディングスと住友生命の取り組みを取り上げたい。

SOMPOホールディングスは2019年、米国Palantir Technologies社と、ビッグデータ解析ソフトウェアプラットフォーム事業を展開する共同会社(Palantir Technologies Japan株式会社)を設立することを発表した9)。図2に紹介するとおり、SOMPOはデジタル戦略が中期経営計画の主軸の1つであり、デジタル戦略により顧客接点を強化すること、デジタル対応力をコアコンピタンスとしたサービス産業となることを掲げている10)。同社は日本の保険会社として初めてイスラエルにデジタル戦略拠点を開設、スタートアップとAIを活用した健康サービス開発に向けた実証実験を開始11)するなどしており、IoT等により得られるデータを解析し、他産業へ活かそうという意図が読み取れる。

図2 SOMPOホールディングスの掲げるデジタル戦略(中期経営計画より引用)

また、住友生命は2018年より、健康増進型保険「Vitality」の提供を開始した12)。「Vitality」は米Discovery社が提供してきた保険サービスであり、加入者約1,000万人の行動データをもとに、行動経済学の理論を活用して個人の行動変容を図るものである。現在我が国ではまだサービス提供開始から1年しか経っておらず、データ蓄積の段階だが、保険料を安く維持したり「リワード」を獲得したりするためにはVitality参加者は、運動データ、オンラインチェックデータ、健康診断データ、予防に関連する行動など様々なデータの提供が必要なスキームとなっている。住友生命にとっては、これまで「契約時」「もしもの時」「支払時」等に限られていたタッチポイントをVitalityの提供により拡充させられるメリットとともに、生活者のデータを収集できる環境が整ったことで、そのデータを活かしてさらに顧客に新たな価値を提案する基盤を獲得した、との見方もできるだろう。

このように、いくつかの民間保険企業は、顧客とのタッチポイントを活かし/獲得し、保険の提供以外の新たなサービスの構築、模索を進めつつある段階にある。その中心にあるのはタッチポイントから得られる様々な顧客データであり、データプロバイダーとしてデータを様々な産業に循環させ、ビジネスとして成り立たせていくというデータエコノミーの思想が読み取れる。

Pharma as a Serviceの概念

それでは、医薬品産業がサービスプロバイダーとして提供しうるサービスには、どのようなものが考えられるだろうか。本稿の冒頭で唐突に"Pharma as a Service"という語を提示したが、もう少しイメージを具体化してみたい。

(1) 人的・物的アセットの活用

医薬品産業のバリューチェーンは、図3に示す通りである。すなわち、創薬研究から始まり、非臨床、臨床試験を終え、薬事申請・承認を経て発売され、市販後にも安全性調査を行うという一連のフローが存在する。提供するサービスとしてまず考えられるのは、これらバリューチェーンを支える人的・物的アセットの他産業による活用があるだろう。例えば製造設備や付帯設備等を他産業に提供する(もちろん、医薬品産業、設備の提供を受ける産業双方が互いのレギュレーションを遵守する前提で)、MRの医師とのタッチポイントを医薬品以外の産業のマーケティングや情報提供機会に活かしてもらう、といった応用が考えられる。また、デジタルメディスンや服薬管理デバイスによる医療関係者の患者管理への貢献も、広義に捉えれば医薬品という「モノ」を活かしたサービスと言えるかもしれない。

図3 製薬企業のバリューチェーンとPharma as a Serviceの例

ただし、こうしたサービスは既に存在しており、データの循環による価値創出という観点のサービスでは必ずしもない点に留意が必要である。

(2) インテグリティと信頼

この他に考えられる点として、バリューチェーンの背景にある「インテグリティ」を他の産業に活かすという視点もあるだろう。公益性が高い医薬品産業は、これまでの長い歴史のなかで、レギュラトリーサイエンス、リスク/ベネフィットのバランス、データサイエンスや質の高いエビデンスの構築、品質マネジメントシステムの考え方、供給義務を果たすサプライチェーンの構築、ステイクホルダーに対する適切な情報提供といった観点で「フィロソフィ」をはぐくみ、これをあらゆるバリューチェーンでGXP13)等として文書化、制度化し、定期的な教育訓練により産業文化として根付かせてきた。言い換えれば、"高潔さ・誠実さと知性に裏付けられた、信頼性確保に向けた持続した意思"としての『インテグリティ』は、医薬品産業の特性のひとつと表現できるだろう。

他方、現代社会にあっては、効果をうたうことが出来るか疑わしいヘルスケア製品、ディープフェイク14)や公平性を欠くAIの登場など、必ずしも消費者のためにならない、あるいは消費者に誤った判断をさせるようなソリューションや情報が氾濫している。近年、AI倫理におけるFAT15)16)(Fairness、Accountability、Transparency。公平性、説明可能性、透明性)、Data Free Flow with Trust17)、エビデンスに基づくデジタルヘルス18)、プラットフォーム提供企業の事業者要件19)などの観点が注目を集め、議論されているのは、まさに生活者が「信頼(トラスト)」を求めていることに他ならない。インテグリティを産業の根幹に据えてきた医薬品産業は、こうした課題に対しても、例えば「健全なデジタルヘルスの普及に向けたレギュレーション/ガイドラインの策定・普及」「信頼(トラスト)に基づくデータ取扱い」といった観点から、強みを活かしていくことも可能であろうし、またそうしていくことも社会的役割として求められつつあるのではないか。

(3) デジタルの活用とデータ提供

更に別の観点からは、異なる産業技術、特にデジタルテクノロジーと医薬品産業の強みを融合した場合、更に高い付加価値を提供できる可能性がある。例えば、近年はデジタルバイオマーカーの発掘が盛んだが、これは治療だけでなく、先制的介入や予後評価にも応用可能であるし、医薬品を中心とした医療だけでなく、ヘルスケアソリューション等の異業種サービスにも展開可能なものである。モダリティという語は機器の差異や医薬品のなかの分子の態様の違いとして表現されることが多いが、もう少し広い視野で考えると、医療・ヘルスケアのなかに「医薬品」「医療機器」「デジタルヘルス」といったモダリティが存在しているとも言えるだろう。こうした視点からは、今後は各モダリティを別個にとらえるのではなく、「インターモーダルな」連携、それもデータを介して様々なモダリティが連携することが価値を生む、とも考えられるのではないか。

また、昨今注目されているDigital Therapeuticsにしても、単に治療をデジタル化したもの、医薬品の代替手段と捉えるのではなく、患者と医師との接続性を高めて質の高い医療を提供できるようにする、あるいは患者の情報を研究に活かすためのタッチポイントを得るデジタルツールと捉えることにより、治療手段のひとつとしての役割を超え、新たな価値の提供を検討しうる素材としてみることが可能となるだろう。

一方でSociety 5.020)、データ駆動型ヘルスケアの観点からは、この段階まで到達してはじめて、医薬品産業はデータユーザーの立場を超え、データプロバイダーとしての役割を担うことが可能になる。「製薬企業がデータでビジネスをする」という表現に抵抗感を抱かれることもあるかもしれないが、今後のデータ駆動型医療・ヘルスケアでは、信頼に基づき、対価を伴った形でデータを循環させることが肝要であり、インテグリティをベースに公益を担ってきた医薬品産業もその一翼を担うことが期待されるようになるのではないか

おわりに

本稿では、医薬品産業をサービスプロバイダーとして捉えた場合、どのような価値をステイクホルダーに提供しうるか、という点を、インテグリティやデータ駆動型社会の進展に関する視点も踏まえ、ごく簡単に論じた。特に今後進展の期待されるデータ駆動型ヘルスケアにおいては、医薬品産業も、データを提供することでより質の高い医療ヘルスケアの実現に貢献していくことが可能になるだろうし、またそのような役割を期待されるようになるだろう。しかしながら、サービスが医薬品という共通の「モノ」から離れて提供される場合、その考え方や実際に提供する「コト」は、医薬品企業や関連企業の数だけ存在するといっても過言ではないだろう。すなわち、自社の提供すべき顧客価値、サービス、value propositionを見定めるには、企業の根源的な存在理由に立ち戻り、どのようなサービスが社会にとって必要かを、医薬品産業の外側、俯瞰的な視座から考えることも重要であろう。もちろん、忘れてはならないのは、その価値を評価するのは医療の受益者であり、ヘルスケア産業のステイクホルダーであり、社会全体そのもの、という点である。

医薬品産業は、サイエンス、テクノロジー、インテグリティといった要素をモノに結集し、高い付加価値を提供できる産業である。その持てる力を活かし、世界全体でどのようなヘルスケアニーズがあるかを的確にとらえ、サービスプロバイダーの立場にたったらどのような貢献が可能か。従来の産業の枠組みにとらわれることなく、国家全体でこうした議論が展開することを期待したい。

  • 1)
    政策研ニュースNo.58「デジタルヘルスの進展から未来の医薬品産業を考える -「データ駆動型ヘルスケア」の一員として-」(2019年11月)
  • 2)
    SaaS向けSLAガイドライン(経済産業省)(2008年1月)
  • 3)
    MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)について 国土交通政策研究所報第69号 2018年夏季
  • 4)
    MaaS(Mobility as a Service)の現状と展望 日本政策投資銀行産業調査部(2018年11月15日)
  • 5)
    「保険業法上の規制緩和」保険学雑誌 2017巻 639号
  • 6)
  • 7)
    ITヘルスケア学会第13回学術集会 ソフトバンク株式会社 笹井氏の発表より
  • 8)
    「平安保険グループのDX戦略」野村総合研究所"Financial Information Technology Focus"(2019.6)
  • 9)
    SOMPOホールディングス株式会社ニュースリリース(2019.11.18)
  • 10)
    「新中期経営計画(2016~2020年度)」損保ジャパン日本興亜ホールディングス株式会社
  • 11)
    SOMPOホールディングス株式会社ニュースリリース(2019.1.16)
  • 12)
    住友生命保険相互会社ニュースリリース(2018.7.17)
  • 13)
    医薬品・医療機器・医薬部外品・化粧品等の開発、製造、品質管理、製造販売後調査などに関し、安全性や信頼性を確保することを目的に政府等の公的機関が制定する諸基準。
  • 14)
    機械学習を用いた画像合成技術により生成される偽の映像情報。
  • 15)
    "ACM Conference on Fairness, Accountability, and Transparency"
  • 16)
    「『人間中心のAI社会原則』及び『AI戦略2019(有識者提案)』について」内閣府(2019.4.17)
  • 17)
    「デジタル時代の新たなIT政策大綱」高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部官民データ活用推進戦略会議(2019.6.7)
  • 18)
    IQVIA社「グローバルにおけるデジタルヘルス活用動向および医療経済効果」2018年度ITヘルスケア学会
  • 19)
    「プラットフォームサービスに関する研究会 最終報告書(案)」総務省(2019.12.23)
  • 20)
    総務省「平成30年版情報通信白書」によれば、Society 5.0とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」とされる。

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