くすり偉人伝No.4鈴木梅太郎 くすり偉人伝No.4鈴木梅太郎 くすり偉人伝No.4鈴木梅太郎

コメの研究を通じて「ビタミン」を発見し、多くの脚気患者(かっけかんじゃ)を救った農芸化学者。

鈴木梅太郎(すずき・うめたろう)はなにを発見したの?
鈴木梅太郎(すずき・うめたろう)はなにを発見したの?

世界で最初に「ビタミン」を発見

梅太郎(うめたろう)は、コメの研究中に、米ぬかにふくまれている新しい栄養 成分を取りだすことに成功しました。これを「オリザニン」と名づけ、未知の栄養素として1910 年に発表したのです。

ところが、翌年(よくねん)にポーランドの化学者・フンクが、同じ栄養成分を発見し、「ビタミン」と名づけて発表。こちらのほうが有名になってしまいました。
ビタミンの名づけ親こそフンクですが、世界初の発見者としての、梅太郎(うめたろう)の業績は揺(ゆ)るぎないものなのです。

鈴木 梅太郎 鈴木 梅太郎
鈴木 梅太郎
すずき・うめたろう
1874~1943
農芸化学者
マメ知識 マメ知識
12月13日は「ビタミンの日」 12月13日は、梅太郎(うめたろう)がビタミンB1を発表した日のため、「ビタミンの日」とされています。
これは、ビタミンを始めとした栄養素の大切さを考え、バランスの取れた食事をし、みんなが健康で長生きしてほしいとの願いをこめて制定されたものです。
梅太郎(うめたろう)はどうしてビタミンを発見できたの?
梅太郎(うめたろう)はどうしてビタミンを発見できたの?
ドイツで学んだ知識を生かして始めたコメの研究がきっかけ

ドイツのベルリン大学において、約2年間、タンパク質やアミノ酸について研究していた梅太郎(うめたろう)。帰国するときに、ベルリン大学の教授に「アジアにしかないものを研究しなさい」とアドバイスされました。
こうして梅太郎(うめたろう)は、日本の特産品であり主食であるコメの研究をすることにしたのです。
そして帰国後、さっそくコメの研究を始めた梅太郎(うめたろう)は、オリザニン(ビタミンB1)を発見し、歴史にその名を刻(きざ)むことになりました。

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梅太郎(うめたろう)は、究極の勉強好き 静岡県(しずおかけん)に生まれた梅太郎(うめたろう)は、15才のとき、1人で東京にやってきました。勉強がしたくてたまらず、両親にも無断で家をでてきたのです。
親からはなれ、お金もなく、苦労の連続でしたが、大好きな勉強に打ちこみ、東京帝国大学(とうきょうていこくだいがく)(のちの東京大学)農学科を、見事にトップの成績で卒業しました。
ビタミンが発見されたことで、どんなことが起きたの?
ビタミンが発見されたことで、どんなことが起きたの?
多くの死者をだした病気・脚気(かっけ)の患者(かんじゃ)が大幅(おおはば)に減少

江戸時代(えどじだい)、日本人は「脚気(かっけ)」に苦しめられていました。脚気(かっけ)とは、ビタミンB1の不足によって起こる病気で、手足がしびれたり、体がだるくなったりします。悪化すると死んでしまうことも珍(めずら)しくありません。
脚気(かっけ)の原因は、食生活にありました。江戸時代(えどじだい)になってから、人々は白米を食べるようになり、米ぬかにふくまれているビタミンB1が不足してしまったのです。
梅太郎(うめたろう)のビタミン発見によって、日本人を苦しめてきた脚気(かっけ)は大幅(おおはば)に減ってゆきました。

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「三日坊主(みっかぼうず)」という言葉は、脚気(かっけ)から生まれた?! 多くの人々が苦しんでいた脚気(かっけ)は、とくに子どもは1度かかると数日で死んでしまうこともあったため、「三日坊主(みっかぼうず)」ともよばれていました。
今では、あきっぽくて何事も長続きしない人の例えとして使われている「三日坊主(みっかぼうず)」という言葉ですが、もとは脚気(かっけ)から生まれた言葉と考えられています。
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監修 望月眞弓(慶應義塾大学 名誉教授)