| ゲノムQ&A バイオ医薬品と遺伝子治療 |
| Q バイオテクノロジーによって、くすりはどう変わりましたか。 |
A
糖尿病の治療に使われるインスリン製剤に、「超速効型」と呼ばれるものがあります。名前のとおり速く効き目が現れるので、患者さんにとっては非常に使いやすいというメリットがあります。
従来のインスリン製剤は、食事の30分前に注射することで、食後の血糖値をコントロールしていました。しかし、注射をしたあと、仕事の関係などでつい食事をとり忘れていると、くすりの影響で血糖値が下がりすぎることがあります。これを低血糖といいますが、けいれんから意識を失い、ときには大変危険な状態となりかねません。その点、超速効型インスリン製剤は従来のものより吸収速度が3倍以上速く、食べる直前に注射をすればよいので、低血糖の心配を軽減することができるのです。
本来インスリンは、すい臓から分泌されるホルモンの一種ですが、微量物質であるため量産ができず、ほかの動物のものを利用していました。動物インスリンは、ヒトインスリンと比べて構成アミノ酸の異なる部分(3個違う)があるため、本来はヒトインスリンを用いるのが理想なのですが、生産が不可能でした。しかし、遺伝子組み換えなどのバイオテクノロジーにより、人間のインスリン遺伝子を利用した開発が可能になりました。現在インスリン製剤の大半を占めるヒトインスリンは、そうした手法で開発されたものです。
さらに、インスリンを構成するアミノ酸の分子配列を置き換えることで、吸収と分解を速めたものが超速効型インスリン製剤です。まさに、バイオテクノロジーの申し子といってもいいでしょう。同様の手法で、効き目の非常にゆるやかな遅効型インスリンも開発されています。
糖尿病のインスリン療法では、健常者に近いインスリンの分泌パターンを、注射によって再現することが理想とされています。
健常者のインスリン分泌量は、食事の直後や空腹時、睡眠中などによって変化します。患者さんの症状を考慮しながら、そうしたパターンに合わせて上手に血糖値をコントロールするためには、多様なタイプのインスリン製剤が必要となります。
現在、糖尿病のインスリン療法では、超速効型、速効型、中間型、遅効型などが、医師の判断により組み合わせて使用されています。
バイオテクノロジーはこのように、従来の手法では利用が困難だった微量物質を使い、副作用の少ない純度の高いくすりの量産を可能にしました。と同時に、治療の幅を広げるためのくすりの多様化にも、大きな役割を果たしています。 |

●インスリン製剤の持続時間の違い |
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| (a) バイオテクノロジーとくすり |
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| Q バイオ医薬品には、どのようなものがありますか。 |
A
1972年(昭和47)に遺伝子を酵素で切断し、異なる遺伝子とつなぐ技術が開発され、つくられた遺伝子は「キメラ遺伝子」あるいは「組み換えDNA」と名付けられました。
キメラとは、ギリシャ神話に登場する頭が獅子、体はヤギ、しっぽはヘビという想像上の動物です。さらに組み換えDNAを大腸菌などを利用して培養するクローニング技術や、異種細胞を融合する技術などが相次いで開発され、バイオ医薬品への道が急速に開かれました。
現在病院などで利用されているバイオ医薬品の代表的なものは、次のとおりです。
●ヒトインスリン製剤
1982年(昭和57)に開発された世界で最初の遺伝子組み換え医薬品です。すい臓から分泌されるインスリンはごく微量であるため、当初は牛や豚から抽出されたインスリンが使用されていました。
しかし、人間のものとは異なるため、アレルギーがみられたり、長期間使用すると効き目がなくなる欠点がありました。
それに対してヒトインスリンは、人間のインスリンをつくる遺伝子を大腸菌に組み込んで培養し、生産されたものです。人間由来のくすりなので副作用がなく、しかも量産できることから、糖尿病の治療に積極的に使うことが可能となりました。
●エリスロポエチン製剤(EPO)
エリスロポエチンは、主に腎臓でつくられ骨髄に作用して赤血球を増やす造血ホルモンです。早くから注目されていましたが、わずかしか採取できないため、くすりとしての生産は不可能でした。
しかし、遺伝子組み換え技術により、1990年(平成2)にヒトエリスロポエチンの量産が可能となり、透析患者の腎性貧血の治療に画期的な成果をもたらしました。現在では、手術のための自己血貯血や未熟児貧血などにも利用されています。
●ヒト顆粒球コロニー刺激因子(G-CSF)
抗がん薬の副作用の一つに、血液障害があります。とくに白血球の減少にともなう免疫力の低下は、感染症を誘発する重大なものの一つです。ヒト顆粒球コロニー刺激因子は人間の体内にある活性物質で、白血球の増殖作用がありますが、微量しか存在しないため利用できませんでした。それが遺伝子組み換え技術により量産が可能となり、抗がん薬の連続投与治療を支える重要なくすりとなっています。
●インターフェロン(IFN)
インターフェロンは、生体内のさまざまな細胞がつくり出す生理活性たんぱくで、抗ウイルス・抗がん作用があります。純粋なものをつくることが難しく、微量物質のため量産もできなかったのですが、バイオテクノロジーにより開発が可能になったものです。現在はB型およびC型慢性肝炎、腎臓がんなどの治療薬として広く使われています。
●ヒト成長ホルモン(hGH)
小人症の治療薬ヒト成長ホルモンは、遺体の脳下垂体から抽出するという事情もあり、日本では大半が輸入に頼ってきました。しかし、バイオテクノロジーにより遺伝子組み換え体が開発されたことで国内での生産が可能となり、治療に必要な量が確保できるようになりました。
バイオ医薬品としてはそのほか、腎臓がん、血管肉腫の治療薬インターロイキン2、A型血友病の治療薬の血液凝固第VIII因子、血栓の治療薬ウロキナーゼ、急性心不全の治療薬ナトリウム利尿ペプチドなどが広く使われています。また、特定の細胞(たとえばがん細胞)にくすりを誘導するモノクローナル抗体なども、バイオテクノロジーによる開発が有望視されています。 |

●遺伝子組み換え(組み換えDNA)の仕組み
組み換えDNAとは、ある生物のDNAを異種の生物のDNAに結合させることにより、さまざまな目的に利用する技術です。ここでは大腸菌を使ってたんぱく質をつくる場合を説明します。
(1)まず、ヒト遺伝子から目的とするたんぱくをつくり出すDNAの部分を制限酵素と呼ばれる特殊なハサミを用いて切り出します
(現在ではDNA合成技術が進歩したことから、目的とするDNAを化学合成する場合もあります)。
(2)次に、大腸菌のなかからプラスミドを取り出します。
(3)それを組み換えDNAを導入する細胞においてたんぱくをつくらせるのに必要な情報をもったDNA(プロモーターDNA)と
(1)を一緒に、プラスミドに結合させます。できあがったものは組み換えDNAと呼ばれます。
(4)それを大腸菌に戻し、バイオテクノロジーのひとつである培養技術を用いて、目的とするたんぱく質を大量につくります。
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●細胞融合の仕組み
細胞融合とは細胞に特殊な処理をすることにより、細胞を融合させ、二つの細胞の形質を併せもつ新しい細胞をつくる技術です。医薬品の分野では特定の細胞とある種の無限増殖細胞を融合させ、特定細胞の性質と増殖する能力を併せもつ細胞をつくり、目的とする生理活性物質を大量につくります。 |
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| (a) バイオテクノロジーとくすり |
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| Q くすりの動物工場とは、どういうものですか。 |
A
ドリーとポリーという名前を聞いて、すぐにピンとくるのは、バイオテクノロジーに関心の高い人かもしれません。ドリーは、1996年(平成8)にイギリスで誕生したクローン羊のこと。ほ乳類のクローンとしては、世界で最初の動物でした。同じ技術を使って、すでに食肉用のクローン牛が生産されていることはよく知られています。
そしてドリーに続いて、同じイギリスで誕生したのが、人間の遺伝子を組み込んだ最初のクローン羊ポリーです。実はこのポリーこそが、くすりの動物工場への可能性を開きました。
では、くすりの動物工場とは、どういうものなのでしょうか。
人間の体内には、くすりの成分となりうるさまざまな微量たんぱく質があることは、前の「Q 遺伝子が関連した病気には、どのようなものがありますか。」で示したとおりです。そのたんぱく質の遺伝子を取り出し、プロモーターとして働くマウスの遺伝子と組み合わせたDNAを、さらに別の動物の受精卵の核に注入します。この受精卵から誕生した動物を、トランスジェニック(異種生物の遺伝子を併せもつ生物)といいます。トランスジェニックが成長し、やがて出産するとミルクを出しますが、そのなかに最初に取り込んだ人間のたんぱく質が含まれているのです。
この方法によって、人間にとって有益なたんぱく質を生産するのが、くすりの動物工場です。クローン技術を応用し、同じトランスジェニックを次々につくれば、あたかも製薬工場のように大量生産をすることができます。
●動物工場の利点と課題
くすりの動物工場には、いくつかの利点があるといわれています。たとえば、血液に含まれる微量たんぱく質は、人間の血液を利用して生産できる量はわずかです。それがトランスジェニックを使えば、大量生産することができます。人間の血液の場合、ウイルス感染の心配がありますが、トランスジェニックにはその心配もありません。また、複数の遺伝子を組み込んだトランスジェニックができれば、ミルクからさまざまな有益物質を取り出せる可能性もあります。
さらに、微量物質を細胞培養などの手法で生産する場合、工場設備の建設などに巨額のコストがかかります。しかし動物工場は、清潔な環境を守る必要はありますが、設備自体にはそれほどのコストがかかりません。
もちろん、くすりの動物工場にも課題はあります。たとえば、動物由来の病気に汚染されることはないのか、トランスジェニックそのものが人間の遺伝子の影響で障害を受ける可能性はないのかなど、クリアすべき要素は少なくありません。しかし、その一方で現在すでに羊、ヤギ、牛、豚などを利用し、血液凝固にかかわるプロテインC、抗菌作用をもつラクトフェリン、造血ホルモンのエリスロポエチンなど、数多くの有用物質の実用的研究が世界各国で進められています。 |

●トランスジェニックと動物工場の仕組み |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q 遺伝子治療には、どのような歴史がありますか。 |
A
世界で最初の遺伝子治療は、1990年(平成2)にアメリカ国立衛生研究所の医師フレンチ・アンダーソンの手で行われました。患者はADA欠損症を患う、当時4歳のアシャンシ・デシルバという少女です。
ADA欠損症は、リンパ球にADA(アデノシンデアミナーゼ)という酵素がないために生じる病気です。重症の免疫不全を起こし、感染症による死亡率が非常に高いため、無菌室のなかでしか生きていけない状態となります。その治療に採用されたのが、患者の体内にADAをつくる遺伝子を入れ、リンパ球の機能を回復させる方法、つまり遺伝子治療でした。
遺伝子治療というと、大変な手術の光景を想像されるかもしれません。ところが実際には、あらかじめ少女から採取したリンパ球にADA遺伝子を組み込んで培養しておいたものを、点滴によって静脈へ戻していくだけなのです。点滴に要した時間は28分間。少女と会話を交わしながらの、静かな治療だったそうです。もちろん、体内に戻された遺伝子がうまく働いてくれるかどうかわからなかっただけに、非常にリスクの多い治療ではあったのですが…。
この衝撃的なニュースはまたたくまに世界中に広がり、堰を切ったように遺伝子治療の時代が始まりました。当初はADA欠損症のように、本来は遺伝子によってつくられるたんぱく質がなかったり、不足していることから起こる先天性の病気が中心でした。同様の病気に、血友病B、家族性高コレステロール血症、のう胞性線維症、ゴーシェ病などがあります。ちなみに日本で最初に北海道大学で行われた遺伝子治療も、ADA欠損症の患者さんに対するものでした。
その後、遺伝子治療の対象は、後天的に遺伝子が傷つくことによって起こる病気、たとえばがんやエイズなどにまで広がっていきました。がん治療の場合には、腫瘍細胞の増殖を阻止する遺伝子(TNF)をリンパ球やがん細胞に送り込み、がん細胞そのものを死滅させようという方法がとられています。さしずめトロイの木馬を、敵の城内へと送り込む作戦というところでしょうか。
また、異常を起こした遺伝子を切り取って排除する治療法も開発されるなど、遺伝子治療は技術的にも広がりをみせ、対象となる病気の数も飛躍的に増えつつあります。すでにアメリカでは、50種類以上の病気に対する遺伝子治療が認められています。
ただし、現時点ではADA欠損症など一部の病気をのぞくと、遺伝子治療の効果は確定されているわけではありません。なぜなら遺伝子治療はまだ実験段階にあるため、既存の薬物治療と並行して治療が行われており、どちらの効果で治癒したのか明確でないものが大半だからです。遺伝子治療のほんとうの効果や役割がはっきりするには、もう少し時間が必要だといえるでしょう。 |

●遺伝子治療法(ADA欠損症の例) |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q くすりと遺伝子治療との関係は。 |
A
●遺伝子の新しい役割
くすりと遺伝子治療とは、あまり関係なさそうに思えるかもしれません。ところが遺伝子治療においては、遺伝子そのものが「くすり」なのです。ただし遺伝子治療では、くすりとはいわず、治療遺伝子と呼んでいます。
前の「Q 遺伝子治療には、どのような歴史がありますか。」で紹介したADA欠損症の治療を例にすると、ADAを発現させる治療遺伝子を体内に送り込むことは、病気のときにくすりを飲んだり注射をするのと同じことなのです。治療遺伝子が体内でADAをつくるのは、くすりが患部で効き目を発揮することに相当します。治療遺伝子は、まさにくすりと同じような働きをするのです。
ただ、治療遺伝子が従来のくすりと大きく異なる点は、わたしたちの体に感染したウイルスを攻撃したり、病気にともなう痛みや炎症を抑えるといったものではないことです。体内の遺伝子のなんらかの異常(欠損や変異)によって生じた病気を対象に、正常な治療遺伝子の働きによって機能を修復する治療なのです。原因も遺伝子、治療も遺伝子という点では、くすりの概念を変える画期的なものだといえます。
●遺伝子の運び屋ベクター
遺伝子治療にはもう一つ、ベクター(運び屋)という重要な要素があります。目標とする細胞へ治療遺伝子を運ぶ役割をするもので、遺伝子治療の成果はベクターにかかっているともいわれます。
現在ベクターには、レトロウイルス、アデノウイルスなどのウイルスのほか、リポソームなどが使われています。ウイルスには病原性があるので、そんなものを使っても大丈夫なのかと思われるかもしれませんが、遺伝子治療の場合は無毒化したものを使用します。そしてウイルスが細胞に感染しやすい特徴だけを生かし、治療遺伝子をセットして体内へと送り込みます。レトロウイルスの場合は、目標の細胞に入ると、変身してその細胞のDNAになりすますという特殊技能をもっているので、それを利用するわけです。
ウイルスの種類によって、それぞれ感染しやすい場所があることから、最近はその特性を利用した方法も開発されつつあります。たとえば、喉や肺のがん細胞にはアデノウイルスやインフルエンザウイルスを、肝臓がんには肝炎ウイルス、子宮がんにはパピロマウイルス、神経のがんにはヘルペスウイルスというようにです。
リポソームというのは、脂質からつくられた微粒子のカプセルです。なかに治療遺伝子を入れて、目標地点へと運びます。ウイルスは無毒化されていても、まれに突然変異などで有害化する恐れがありますが、リポソームなら安全に使用することができます。
ほとんどの遺伝子治療では、治療遺伝子とベクターがセットした形で使用されます。したがって、このセットこそが新しいくすりといえるでしょう。将来的には飲み薬のように従来と変わらない方法で、だれもが簡単に遺伝子治療を利用できるようになる可能性もあります。 |

●遺伝子治療のイメージ |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q ヒトゲノム計画とは、なんですか。 |
A
●遺伝子・DNA・染色体
最近は新聞やテレビのニュースで、ゲノム計画とかゲノム解析といった言葉をよくみかけるようになりました。遺伝子、DNA、染色体の話だけでも複雑なのに、ゲノムとなるとさっぱり理解できないという人もあるかもしれません。
学校の化学の授業を思い出しながら簡単にいいますと、人間の細胞には父親と母親から受け継いだ23対の染色体があります。そのうちの1対である性染色体の違いによって、男性と女性に分かれることはよく知られているとおりです。染色体を構成しているのが、塩基が二重らせん状に連なったDNAで、塩基の配列の違いがそれぞれの遺伝情報の違いとなっています。よく「DNAは人間の設計図である」といわれるのは、この塩基配列によるもので、それが生命活動に必要なすべての物質をつくる設計図ともなるからです。そのDNAの上に、特定の塩基配列の一群、つまり遺伝子がのっています。DNAにある遺伝子の総数は約10万個といわれ、病気に関係したものや、必要なたんぱく質をつくる役割をするものが、遺伝子治療に使われるのです。
●ヒトゲノムとくすり
では、ゲノムとはなんでしょうか。それは生物の染色体と遺伝子の完全なセットを意味しています。もう少しわかりやすくいえば、1個の生物がもつ遺伝情報のすべて、あるいはDNAの全体ともいえます。ですから「ヒトゲノム計画」とは、人間のもつすべてのDNAに書き込まれた情報を解明する計画のことです。ヒトゲノムを構成する約30億塩基対の配列を機械が読み取り、それを高速コンピューターで解析する方法で、遺伝情報を明らかにしていきます。
そのなかにもし、くすりの開発につながるものや、未知の遺伝子があれば、そこからまったく新しい働きをするくすりが誕生する可能性が大いにあります。
1999年(平成11)末、日米欧のグループにより22番染色体に含まれるDNAが解読されたとの報告が行われました。23対の染色体のなかで、全容が解明された初めてのものです。そのなかには 545個の遺伝子があり、白血病や免疫グロブリンに関する遺伝子、さらには精神分裂病とのかかわりが推定される遺伝子も含まれています。さらに半分以上は新発見の遺伝子ですから、今後の解明にも期待が寄せられています。
現在、ヒトゲノム計画を推進している研究施設は世界中に数多くありますが、なかでも研究の進んでいるアメリカでは、くすりの開発につながりそうな遺伝子を次々に特許にしています。ヒトゲノムは人類共通の財産ともいえるものなので、特許競争には批判もありますが、現実には早い者勝ちという様相を呈しているほどです。アメリカ国立衛生研究所の計画では、2000年春にはヒトゲノムの約90%、そして2003年にはすべてが解明されるとしています。
こうした性急な動きのなかで、ヒトゲノムをどのようにくすりとして役立てるのか、倫理的な問題も含めて、これからの大きな課題となっています。 |

●ゲノム研究から創薬への流れ |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q ゲノム創薬とは、どういうものですか。 |
A
●ゲノム創薬の合理性
多くの病気が遺伝子の働きと関係があることがわかるにつれ、ゲノム創薬がいよいよ現実のものとなりつつあります。ゲノム創薬とは、前の「Q ヒトゲノム計画とは、なんですか。」で示したようなゲノム情報に基づいた、くすりの新しい開発手法のことです。
この手法が画期的とされる一つの理由は、従来のくすりの開発が経験や偶然性に頼っていたのに対し、蓄積された膨大な遺伝子情報を基盤にして、論理的に開発を進めることができることです。
たとえば、1994年(平成6)にアメリカで肥満遺伝子が発見されました。これは肥満を起こす遺伝子という意味ではなく、食欲の抑制にかかわる遺伝子です。この遺伝子がつくるレプチンというたんぱく質が、受容体と結びつくと、さらに別のたんぱく質をつくることで、食欲を抑制するという仕組みが解明されました。ということは、その過程のどこかに異常が起こると、食欲が抑制されず、肥満が生じるわけです。
このことから、同じ肥満といっても、レプチンに異常がある場合、受容体に異常がある場合など、原因には違いがあることがわかり、治療の目標とするターゲットを明確にすることができます。何を目標に、どのようなくすりをめざせばいいのかが、はじめからはっきりしているので、それだけ合理的で効率的な開発が可能となるのです。
従来のくすりの開発手法、たとえば植物の成分から有効と思われる物質を抽出し、それがどんな病気に効くのかをことごとく照合していく気の遠くなるような作業と比較すると、大きな違いがあります。現在すでに、肥満の抑制に限らず、ゲノム情報によって新しいくすりの標的が次々と発見されています。
●ゲノム創薬と多様な可能性
ゲノム創薬には、従来の手法では手の届かなかった領域でのくすりの開発も期待されています。とくに遺伝子の異常によって生じる病気については、その遺伝子の働きをコントロールし、病因となる物質をつくらせないくすりが誕生する可能性もあります。このタイプのくすりが開発されれば、遺伝病のように最初から変異遺伝子をもっている人でも、その働きを抑え、発病を予防することができるでしょう。
またゲノム創薬では、個人の遺伝子情報を取り込むことで、一人ひとりに合わせた個別のくすりを開発することもできます。それは、個人ごとに最適で安全性の高いくすりを提供する、テーラーメード医療への道を開くことです。
ゲノム創薬の基盤となる遺伝子情報は、ヒトのものだけではありません。たとえば、病原菌の遺伝子のもつ情報から、感染症を発病させる仕組みが解明されれば、新たな開発目標が設定されます。そこからまったく新しい抗生物質が誕生するかもしれません。
このようにゲノム創薬には多様な期待が寄せられていますが、その一方でクリアすべき問題点も多々あります。
たとえば、ゲノム情報だけをもとに遺伝子の機能をきちんと解明できるのかどうか、膨大な遺伝子情報のなかから創薬に結びつくものをどのように選択するのか、といった点です。こうした問題を克服するために、ゲノム創薬では医学・薬学・化学のみならず、生物分子学や情報工学といった多くの分野を総合した体制づくりが必要だとされています。 |

● 従来の創薬とゲノム創薬 |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q 遺伝子が関連した病気には、どのようなものがありますか。 |
A
●先天性の遺伝病
同じウイルスや細菌に感染しても、発病する人としない人がいます。その理由について従来は、体質の違いや抵抗力の差だと考えられてきました。しかし1997年(平成9)に、エイズウイルスが体内に侵入しても、あるタイプの遺伝子をもつ人は感染しにくいことがわかり、大きな話題となりました。なぜなら、感染症のように原因となる病原菌がはっきりしている病気においても、遺伝子の影響が確認されたことと、そこからエイズの治療薬を開発する道が発見されるかもしれないからです。
遺伝子の研究が進むにつれ、ほとんどの病気にはなんらかの形で遺伝子がかかわっていることが解明されつつあります。
その典型は、先天性の遺伝病です。遺伝病というとイメージがあまり良くないので、最近は遺伝子病ともいいます。先天的に変異した遺伝子をもっていたり、あるいは必要な遺伝子の機能が欠けているために生じる病気のことです。前の「Q 遺伝子治療には、どのような歴史がありますか。」で紹介したADA欠損症や、鎌状赤血球症、フェニルケトン尿症、デュシャンヌ型筋ジストロフィーなどが知られています。
鎌状赤血球症は、アフリカなどの黒人に多い病気です。本来は丸いはずの赤血球が鎌のように尖っているため、血管内で引っかかりやすく、重症の血栓症や足などの血管障害を起こします。原因は赤血球のヘモグロビン遺伝子に、ほんのわずかな変異がみられるためです。この病気の解明から、たんぱく質の異常が病気の原因となることがわかり、遺伝子と病気とのかかわりが探究されるようになりました。
この遺伝子をもつ人たちには、マラリアに対する抵抗力が強いという不思議な一面がみられます。マラリア多発地帯に暮らし続けるために、遺伝子が長い歴史のどこかでみずから変異したのだとしたら、非常に興味深いことです。
●後天的な遺伝子異常
先天的な異常ではなく、後天的に遺伝子が傷付いたために起こる病気も、がんをはじめとして数多く発見されています。
がんの発生するメカニズムは複雑ですが、遺伝子に話をしぼると、がん遺伝子とがん抑制遺伝子があることがよく知られています。がん遺伝子というと、病気を発生させるものと思われるかもしれませんが、本来は細胞の増殖にかかわる働きをしています。ところがこの遺伝子が傷付いて暴走を始めると、特定の細胞だけが増殖してがん細胞となります。
一方のがん抑制遺伝子は、その名のとおり細胞の増殖を抑える役割があります。しかし、この遺伝子が傷付いた場合も、歯止めが利かなくなり、特定の細胞が増殖を始めてしまうことがあります。
遺伝子が傷付くのは、紫外線や化学物質、食事の内容、喫煙、ストレスなど、日常生活のさまざまな要因によります。「生活の仕方によって、がんはかなり予防できる」といわれるのは、つまり遺伝子を傷付けないような生活をすることを意味しているのです。
高血圧や糖尿病のような生活習慣病も、遺伝子の異常によるものであることがわかってきました。ただし、これらの病気は複雑系といって、さまざまな遺伝要因がからんでいます。同じ糖尿病の患者さんでも、どの遺伝子がどのように関係しているのかに違いがあります。同様の病気はほかに数多くあるため、複雑系の病気を遺伝子によっていかに解明していくかが、これからの大きな課題ともなっています。 |

●病気と遺伝的要因の関係 |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q 遺伝子診断とは、どういうものですか。 |
A
東京のスポーツクラブのなかに、会員向けに遺伝子検査サービスをするところがあるそうです。髪の毛1本から、その人の体質などを調べるもので、けっこう人気があるとか。遺伝子による検査はずいぶんポピュラーなものとなりつつあるようです。
病院などで行う遺伝子診断は、血液などを採取し、遺伝子に異常があるかどうかを調べる方法で、病気との因果関係を厳密に特定していくものです。
(1) 確定診断
遺伝子診断で病名や病気の種類が確定されれば、治療方針の決定にも役立ちます。たとえば、白血病にはいくつかのタイプがありますが、慢性骨髄性白血病の場合にはほとんどの患者さんで22番染色体の一部が短くなっています。遺伝子診断でそれが確認されれば、早急に適切な治療に入ることができます。
採取した血液などのなかに、もしも人間のものではない遺伝子が発見されれば、病原菌に侵されている可能性があります。その遺伝子を調べ、どんな菌による感染症かが判明すれば、使用するくすりの種類も決めることができます。
もちろん、従来の検査方法によっても、病名や病気の種類を特定することはできます。しかし、遺伝子診断の場合は、きわめて短時間で調べることができるのです。たとえば、最近また勢いをみせている結核菌は、従来の検査方法だとはっきりわかるまで1~2カ月も要しますが、遺伝子診断なら数日ですみます。
(2) 発症前診断
遺伝子診断には、予防の役割もあります。たとえば大腸がんの場合、いくつかのがん抑制遺伝子に欠損が生じると腺腫になります。遺伝子診断でそれが判明した段階で治療をほどこすことができれば、大腸がんの発症を防ぐことも可能となります。
(3) 保因者診断・出生前診断
将来にわたる病気も、遺伝子診断で調べることができます。よく「うちはがんの家系だ」などといいますが、がんのなかにはごく少数ですが遺伝性のものがあります。そうした家系では、しばしば同じ遺伝子の変異がみられます。
ただし、遺伝子診断で異常がみつかっても、かならず病気になるわけではありません。一卵性双生児は同じタイプの遺伝子をもっていますが、一人が病気になってももう一人はまったくならないケースも珍しくありません。将来にわたる病気については、あくまでも可能性の問題と考え、ほかの要因(食事や運動などの生活要因や、化学物質などの環境要因)に気をつけながら、定期検診を受けるようにします。遺伝子診断は、そのきっかけともなるものです。 |

●遺伝子診断からゲノム創薬への流れ
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| ●ミニ・コラム● |
| 遺伝子診断のスピード化、利便化をかげで支えているのが、DNAチップと呼ばれるものです。5mm~数cmのガラスやシリコンの基板に、数千~数万種類もの合成遺伝子を貼り付けたチップです。その上に蛍光剤と合わせた人間の遺伝子を流すと、貼り付けた合成遺伝子との照合によって、その人の遺伝子のタイプやどの遺伝子に異常があるかが一目でわかります。病原菌の遺伝子を貼ったDNAチップを使えば、どの病原菌に感染しているのかも、すぐに判明します。遺伝子診断の手法とDNAチップにはいろいろなタイプがありますが、こうした診断技術が進歩すれば、家庭でだれもが手軽に診断のできる時代がくるかもしれません。 |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q 遺伝子診断の問題点は。 |
A
「あなたは保険に加入することはできません。なぜなら治療法のない病気の遺伝子を保有しているからです」
保険契約をしようとしたとき、もしも保険会社からそういわれたら、どう思われるでしょうか。怒る人、悲しむ人、呆然とする人…反応はさまざまでしょうが、大きなショックを受けることは間違いありません。
1997年(平成9)のこと、アメリカのクリントン大統領は、「遺伝子情報による差別を禁止する法律」の制定に賛意を示しました。その背景には、生命保険業界を中心に、遺伝子診断によって得られた個人のリスクを、保険契約に反映すべきかどうかの議論がわき起こったからです。これは対岸の火事ではなく、日本でも賛否両論が激しく対立していて、遺伝子診断をめぐる今後の大きな課題とされています。
こうした保険の問題も含めて、遺伝子診断には前の「Q 遺伝子診断とは、どういうものですか。」で述べたメリットとは別に、クリアすべき課題がたくさんあります。
まず、遺伝子診断によって重大な病気の可能性が明らかになった場合、その人の心のケアをどうするのかという問題があります。本人のみならず、その子どもたちにも同じ遺伝子異常がみられたら、それを告げるべきでしょうか。遺伝子をもっていても発病するとは限らないのですが、自分が親の立場だとしたら、大いに迷うはずです。
ある人は、診断結果を前向きのリスクと考え、積極的に予防に生かすよう努めるかもしれません。
しかし、自分の思いとは別に、よそから差別を受けることも考えられます。遺伝子診断によって得られた個人情報が、もし外部に流出するようなことがあれば、もっとも基本的なプライバシーが侵害されかねません。現在、インターネットなどで個人のプライバシーの漏洩がしばしば社会問題となっていますが、同じような事態を防ぐには法律の整備を急ぐ必要があります。
さらに困難な問題は、出生前診断や受精卵診断にみられます。出生前診断では、羊水検査などの方法により、胎児の遺伝的形質を明らかにできるようになっています。生まれてくるのが男の子か女の子かといった簡単な診断は、すでに多くの方が希望し、産着などを買い揃えるための参考としています。しかし、遺伝子診断で胎児にもし障害の可能性がみつかったらどうでしょうか。
受精卵診断は、両親の卵子と精子を対外に取り出して受精させ、その一部の遺伝子を検査するものです。その時点でもし遺伝病の遺伝子が発見されたら、どうしたらいいでしょうか。実際に、日本筋ジストロフィー協会などでは、この問題についての真剣な検討が始まっています。
遺伝子診断は、くすりの未来を開くカギといわれています。その未来のくすりが、遺伝子異常を克服し、こうした諸問題の解決に貢献できるようになれば、遺伝子診断の意義はより高いものとなるでしょう。 |

●遺伝子検査の普及と課題 |
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| (b) 遺伝子治療とくすり |
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| Q 遺伝子診断により可能となるテーラーメード医療とは。 |
A
●くすりの効く人・効かない人
同じ量のお酒を飲んでも、泥酔する人とあまり酔わない人がいます。同様に、同じくすりを飲んでも、効く人と効かない人がいます。くすりの場合、一般的にいって70~75%の人には効きますが、残りの25~30%の人には効果があまりみられません。
従来それは体質の違いによるものとされてきました。しかし現在では、肝臓にある分解酵素の違いが、そうした現象を引き起こしていることが判明しています。
くすりなどを肝臓で分解する酵素は、チトクロームP‐450と呼ばれています。この分解酵素には、現在わかっているだけで20種類以上のタイプがあります。どのタイプの酵素をもっているかによって、分解できるくすりの成分が異なります。それが、くすりの効き方の違いとなって現れるのです。
こうした違いは、分解酵素の遺伝子タイプによるものであることがわかっています。言い換えれば、遺伝子診断によって分解酵素の遺伝子を調べれば、その人とくすりとの相性を知ることができるわけです。
この診断方法が確立されれば、患者さんに合ったくすりを処方することができます。くすりの開発も、患者さんの遺伝子のタイプごとに多くの種類を揃えることで、さらに細かい処方に対応することができます。その結果、患者さん一人ずつに合わせた個別の医療、つまりテーラーメード医療が可能になるといわれています。
●テーラーメード医療のメリット
テーラーメード医療には、どのようなメリットがあるのでしょうか。
その一つは、同じ病気でも患者さんごとに効果的なくすりを選択できるので、治療効果が高まることです。風邪薬一つにもさまざまなタイプがありますが、遺伝子診断によって相性のいいくすりがわかれば、まっさきにそれを処方することができます。効かないくすりを飲むといった無駄がなくなり、患者さんの負担も少なくなります。
二つ目は、副作用の軽減です。たとえば風邪薬を飲んだとき、眠くて仕方なかったという経験はないでしょうか。そのときの体調にもよりますが、もしかすると眠気の原因である抗ヒスタミン成分の分解酵素が少ない人なのかもしれません。分解酵素が少ないと、くすりは高い濃度のまま血液中に入っていき、副作用が生じやすいのです。遺伝子診断によって事前にそれがわかれば、くすりを換えることで副作用を予防することができます。
とくに抗がん薬のように、治療効果と副作用の兼ね合いが重要な意味をもつくすりでは、遺伝子診断への期待は大きなものがあります。
近い将来、病院へ行くとまず自分の遺伝子情報を記したゲノム・カードを提示し、自分に合ったくすりを処方してもらう時代がくるでしょう。 |

●従来の医療とテーラーメード医療の概念 |
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