新しいくすりで、新しい明日を。キャンペーン

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くすりで願いがかなったエピソード

2017年に私たちが募集した「くすりで願いがかなったエピソード」。集まったエピソードには、たくさんの喜びや、笑顔、安らぎがありました。 ここでは、そんなエピソードの一部をご紹介します。ひとつひとつのエピソードを通じて、今も病気と闘っている人たちに少しでもエールを贈りたい。エピソードには、そんな想いが込められています。

2017年に私たちが募集した「くすりで願いがかなったエピソード」。集まったエピソードには、たくさんの喜びや、笑顔、安らぎがありました。 ここでは、そんなエピソードの一部をご紹介します。ひとつひとつのエピソードを通じて、 今も病気と闘っている人たちに少しでもエールを贈りたい。エピソードには、そんな想いが込められています。

製薬協 製薬協

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“子どもの笑顔が何よりのくすり”
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5才の娘は1年中くしゃみ鼻水が酷く、つねに鼻をかんだり拭いたりしていました。大好きなピアノの練習も計算や本読みも集中してできず、イライラしていました。病院を変えたり、アレルギーの薬も飲んだりしていましたが、まったく効かず、先生に相談した所、初めて点鼻液を出してもらいました。2~3日するとずっと治らなかったくしゃみ、鼻水が出なくなり、娘に笑顔が増えました。 ピアノも計算にも集中出来、100マス計算もできるようになりました。
3才の頃から毎週のように病院に通っていたので、先生を身近に感じ、今ではお医者さんになることが夢です。 自分のように鼻水が出る子を治してあげたいようです。その夢に向かって、毎日幼稚園から帰ると自分から文字、ローマ字練習、計算ドリル、ピアノの練習に集中しています。だらだらしないで集中できる環境を作ってくれたくすりに、家族共々感謝しています。
くすりのおかげで大きな夢に向かっていけること、とても嬉しくありがたく思います。娘がお医者さんになったら、子どもたちにたくさんの笑顔を与えてもらいたいです。親は子どもの笑顔が何よりのくすりだから。

“今の幸せは新薬のおかげ”

25年前25歳の時、難病の潰瘍性大腸炎に罹りました。重症でこのまま死ぬのではないかと思いましたが、治療薬の効果で8か月後に職場復帰できたものの薬の副作用と付き合う毎日…。副作用で自分に自信を失いかけていたあるとき、朗報がありました。効果は変わらず、副作用のない治療薬が発売されたのです。以来、体調もよく、自信も復活しました。その後、今の妻と出会い、恋に落ち結婚できました。一男一女に恵まれ幸せな生活を送れています。
私の心も体も救ってくれて、かつ幸せをもたらしてくれたのは、新薬のおかげです。新しい薬が開発されると思うと長生きすれば、もっとよい薬ができると勇気が出てきます。患者としては、新薬の開発にとても期待しています。これからもよいお薬を私たちに届けてください。

“一日五粒の宝物”

42歳の時海外への1か月の出張の後で右半身が不自由になり、コーヒーを持てなくなり、右足も効かなくなりました。上長より「すぐ病院位行くように」と言われて受診した結果、脳の奥に出血があり、手術はできないとのことでした。脳外科に通っていましたが、内科的に薬を飲んで、リハビリで体力を回復することに。処方されたくすりは全部で5錠。これらのくすりは、私の命を支えてくれる宝物になりました。病院では脳外科の先生がくすりを選んでくれると同時に、食事の献立からリハビリの手配までしっかりと管理してくれたので、2か月後には会社仕事をするにはほとんど支障がなくなって、元の職場に無事復帰できました。
現在は、75歳になり、息子と妻の3人暮らし。両親を送り、娘も嫁いで、一生懸命尽くしてくれた妻と一日5粒の宝物の薬に「ありがとう」を言いたいです。

“くすりの力を借りて眠れるようになった喜び”
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ここ、5・6年は更年期障害で気分は落ち込みやる気は0となりました。重症でした。ある日、突然、まったく眠れなくなり、手足のほてりとともに、眠ろうとすればするほど眠れない日々が続きました。どうにかぐっすり眠れないものかと思い、病院へと行くと、睡眠導入剤を処方されたのです。体調が悪くなってから、婦人科、内科、メンタルとドクターショッピングをしていた日々。色々なくすりを飲み、最後にたどりついたのが、このくすりでした。最初はこわくて、先生に内緒で、4分の1しか飲まなかったのですが、「我慢せず、くすりに頼り眠った方が、体によいですよ」との先生のアドバイスにふっきれて、1錠まるまる飲んだのです。すると、スーッと5時間程眠れたのです!あーあ、やっと眠れた、眠ることがこんなにうれしかったなんてと涙が出てきました。それからは無駄にくすりをこわがらず、くすりの力を借りて、ちゃんと眠って、一日元気に過ごそうと思ったのです。いつの日か、自力で、ぐっすり眠れる日を夢みて頑張ろうと思っています。

“こんなに生活が改善するなんて!”

「あなた、最近寝ている時にいびきがものすごくて、たまに息が止まっているわよ」と家内が真剣な表情で教えてくれました。特に自覚症状もないし、「あっそう」と軽く受け流していたのですが、たまたま、知人に睡眠時無呼吸症候群で医者にかかっているという人がおり、インターネットで調べてみると、心臓にも負担がかかるため死に至るということも…。近くに専門医がいることもわかったので、診察を受けることにしたのですが、先生曰く、「花粉症のようなアレルギーはないですか?」「ないと思いますが、最近鼻が痛くて詰まることが多いです」「かなり腫れているので一度抗アレルギー薬で様子を見ましょう」と、くすりを処方してもらいました。そしてその夜、不思議な感覚が起きました。鼻の奥がジュワジュワーと炭酸がはじけるような感じがしたのです。それからは鼻の痛みも、詰まりもなくなり、いびきも息が止まるのも少なくなったようです。当然熟睡もできました。次回診察の時に先生にそう伝えると、「アレルギーが原因だったようですね、また睡眠中に息が止まるようでしたら検査もできるので、しばらくこの薬を続けましょう」となりました。正しい薬でこんなに生活が改善するなんて!自分で勝手に判断せず通院してよかったです。

“2つの願いが、かないました”

今年三月初め、朝起きるとワアーと思うぐらいのめまいがしました。私自身持病で40歳の頃から頭位めまい症はあったのですが、今回のは明らかに違うめまいでした。頭を起こせないくらいグルグル回っている。はき気もする。このまま寝ていても駄目だ。耳鼻科へ行こう。幸い息子が仕事休みだったので、車で耳鼻科まで連れていってもらいました。診察・聴力検査。医師から病名はメニエール、右耳聴力衰えていると告げられました。治療薬をもらい一日三回服用しました。薬のおかげで、めまいはましになっていきました。
メニエールでは車での遠出は無理だと思っていたのですが、薬のおかげで2つの願いがかないました。1つ目は、私の家から遠く離れた、父母の納骨の法要をすませることができたこと。2つ目は、長男の所までも車で行けることができ、可愛い盛りの孫に会えて楽しいひとときを過ごせたことです。メニエールは完治しないと聞きます。そのため、くすりとも長いつき合いになりそうです。私とめまいとの闘いは、生きているうち続くでしょう。めまいは突然やって来ますが、これからも、前向きに落ち込まず上手につき合っていこうと思います。

“快適な生活ができることに感謝”

子どものころのから頭痛持ちでした。頭痛薬には随分とお世話になってきました。日常生活の中で、よく頭が痛くなりました。生あくびが出たり、むかむかして戻したりはいつものこと。特に映画を観たときは必ずといってよいほど頭が痛くなりました。小・中学校通じて、年に数日、学校を休んだ記憶があります。すべて頭痛。なにもできないので、頭痛薬を飲んで寝ていました。社会人になってからも続きましたが、仕事を休むわけにはいかないので、薬を飲んでしのいできました。成人してからは内科で処方してもらった頭痛薬を飲んでいます。つねに手元に置いて過ごしています。ないと不安です。安心するための常備薬です。頭痛は人様から見たら怠けているようで、なかなか理解してもらえないものです。なにをする気力も起きません。どういうわけか、五十路を過ぎたころから体質が変わってきたのか、めったに偏頭痛が起こらなくなりました。年に2、3回、薬を飲む程度。それでも手元にないと不安です。頭痛薬のおかげで快適な生活ができることに感謝しています。

“自力で歩ける幸せ”
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私は現在89才。年齢を考えると余命は幾何もないと思いますが、くすりのおかげで助かり、現在は元気で毎日を過ごしています。じつは平成20年秋、左膝に異常を感じ歩行が若干不自由を感じましたので、近所の整形外科医院で受診したところ膝に水がたまっているので電気治療を受けるよう指導され、1年近く治療を続けましたが、よくならず歩くことも立ち上がることもままならない状態になってしまいました。当時心臓病治療で通院している総合病院の医師に相談したところ即入院ということでリウマチ科の医師の診断により抗原病の疑いありということで薬を与えられ「服用後3、4日すれば歩行できる」と言われ3日後に立ちあがり歩けるようになりました。歩くことが困難だった身体が医師の適切な診断とくすりのおかげで、現在は高齢のため杖は使用していますが、自力で他人の助けもかりず歩いている現状に感謝している毎日です。

“一生付き合う覚悟だった病気がほぼ完治”

40代後半の頃から、後頭部の下から首にかけて毛嚢炎が繰り返し発症するようになりました。一度発症すると、おでき状のものが数か所に出るのですが、痒みはなく1~2週間ほどで治るのものの、しばらくするとまた出てまいります。こんな状態が25年ほど続きました。そして2016年10月、顔に1センチほどの吹き出物が出て悪性のものかと気になり市内の皮膚科医院を受診したところ、「顔の吹き出物は加齢によるもの」との診断でした。そのとき、毛嚢炎についても診察を受けたところ、「毛嚢炎は軟膏を出すので風呂上がりに塗ってください」との指示をいただきました。このくすりを指示通りに患部に塗ったところ、1週間ほどで炎症がなくなりました。その後、毛嚢炎の発症が目に見えて少なくなり、たまに発症してもこの薬を塗ったらすぐによくなりました。現在は毛嚢炎の発症がほとんどありません。このくすりは私の毛嚢炎を治療し発症を抑えるだけでなく、根治に近い効き目があったと思います。一生付き合う覚悟だった病気がほぼ完治し大変喜んでおります。

“名医と良薬との巡りあい”
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私は五十代頃にトラックを運転していて会陰部が痛いような、といってさわってみても痛くないというおかしな現象を、ずーっとひきずってきました。医者に診てもらっても「前立腺炎」という診断で、会陰部に注射したり、わけのわからない薬を与えられたりで、この現象は消えなかったので、思いきってかかりつけ医に頼んで紹介状を書いてもらって、県立がんセンターを訪ねてみました。そこで紹介された医師は、第一印象は何故か私とは相性があわない印象だったのですが、最後は神の手をもった名医でした。色々な検査の末、3泊4日の全身麻酔による生検を受けました。そのときのプレッシャーは精神的にかなり負担で、ステージはB2~Cで「前立腺ガン」の告知を受け、このセンターは70才以上は手術をしない手法をとっていたため、くすりの処方と、会陰部に直接注射する(激痛)という手法で毎日通院しました。仕事を毎日続けながら、通院も毎日。血液摂取も行くたびごと。そんな生活を何年も続けるうちに、血液検査の数値が下がり続け、ついには正常値になっていきました。医師の顔も私と対面するときは、喜びと笑顔に変わっていたし、冗談もいい合う仲になっていきました。もはや私はこの医師の顔が神の相になっていました。私はズバリこの医師に云った。「先生、そろそろ解放していただけませんか」と。すると「そうだね、私も定年退職になるので、一緒に明るい世界に出ましょうか」といってくれました。私はくすりと注射に救われたのかもしれません。

“良薬との出会い”

結婚し、京都で暮らし始めた初めての春、風邪のような症状が長く続き、病院で調べたところ「花粉症」と診断されました。当時(35年前)は、まだ周りを見渡しても珍しいと思われる病名でした。ところがそれから毎年、判で押したように3月から5月にかけて、強く酷いアレルギー症状に悩まされることになりました。腫れあがる程の瞼や全身のかゆみ、限りなく連発するクシャミ、ティッシュペーパーが離せない鼻水、焼けつくような喉の痛み。そして何より辛かったのは、当たり前と思っていた息ができない、ぜんそくでした。家族が眠る傍らで、吸引薬を片手に座り込み、ひとり息苦しさと闘う長い夜は、本当に辛い時間でした。当時のくすりは、副作用として眠気がきつく、仕事も育児も、ボーっとしてしまう私からは笑顔が消え去り、毎年春になるのが恐ろしく鬱状態になる有様でした。それから数年後、お医者さまから「いいくすりが出たよ。眠くもならないし」と新しいくすりを勧められました。私はこのくすりに出会い、見事に辛い花粉症から解放されることができたのです。今は、目薬も、点鼻薬も、マスクも、ティッシュペーパーも、そして吸引薬も、必要ありません。桜のお花見や、テニスや旅行も、昔のように楽しむことができ、大好きだった春を満喫しています。このくすりは、私の人生のお守りだと思っています。

“二人で夢のように迎えた新年”

高齢者介護の会社を経営する夫が、糖尿病を発症しました。子どものいない私たちはそれぞれ仕事を持っていましたが、ドイツ系企業を定年退職した薬剤師の私は、夫婦の生涯目標をかなえるために、夫の糖尿病と闘う決意をしました。闘病中に夫は会社を閉鎖し、糖尿病専門のクリニックでバリバリの若手医師に巡り合うことができました。 医師は厳しいアドバイスと新しい医薬品で治療に取り組んでくれました。熱心な主治医の「月一回の血液検査」による「新しい医薬品投薬」から3年が経ちました。食事と運動の効果もあり、糖尿病検査数値はもう少しで健常人に手が届く程に回復してきました。お正月明けのクリニック受診時には、大きな声で「おめでとう」と医師からうれしい言葉をもらい、二人で夢のような新年を迎えました。今年、夫は生涯目標「居住福祉プランナー」の仕事を始め、私は、服薬、栄養、運動の担当私設薬剤師として仕事を続けていくことになりました。今回、糖尿病の症状が驚くほど改善したのは、疑いもなく「新しく開発された医薬品」と「研究熱心な医師」のおかげと感謝しています。

“くすりで自分らしいワークライフバランス”

私は看護学校の教員です。5年前に検診で「乳がん」と診断されました。がんは小さかったため乳房温存手術でしたが、リンパ節にひとつ移転があり脇下リンパ節郭清も行いました。その後、放射線療法とホルモン療法で経過した2年後に局所再発。すぐに手術をしましたが、今度は抗がん剤による化学療法を勧められました。職業柄、化学療法の知識もあり副作用もわかっていたので、ショックでした。人前に立つことが多く、出張もある仕事のため、点滴での入院や通院の辛さ、脱毛による様相の変化に耐えられないこと、治療で仕事を休みたくないことを医師や看護師に相談し何度も思いを聞いてもらいました。ある日、医師から多くの副作用はあるものの脱毛が少ないくすりを2年間内服する方法があると聞き、すぐに治療を開始しました。幸い副作用も感じず一番気になっていた脱毛もありませんでした。また、仕事を休むことなくフィットネスにも通いながら2年間頑張れました。「がん」という病気で気持ちは複雑ですが、自分に合ったくすりの選択のお蔭で自分らしいワークライフバランスが保つことができていることに感謝しています。

“見えてきた、ひとすじの光”
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「肺線癌です」。1年前のレントゲンには何もなかった場所に、丸々とした白い影が映っていました。肺以外にも転移が見られ、手術療法は採れないとのこと。丈夫だけが取り柄で、25年間教員として走り続けてきた私は、肺癌に種類があることも、抗がん剤の現状についてもほとんど知識がありませんでした。「遺伝子検査をしてあなたに合う抗がん剤を見つけましょう」程なく、主治医から適合しているくすりがあると聞きました。分子標的薬という遺伝子レベルで個に応じた治療が行えるくすりがあると知って驚きました。それも錠剤を1日1回飲むだけです。ある時、白い錠剤にプリントされている製薬会社のマークが、ニッコリと笑う顔に見えることに気づきました。下痢や皮膚症状の副作用に対応しながら、そのくすりが腫瘍を説得しているイメージで毎日服用し続けました。投薬開始から8週間、薬効を確かめるCT検査を受けました。主治医と共に、投薬開始前の検査画像と見比べる。丸かじりした後のリンゴの芯のように腫瘍が小さくなっていることが素人目にもわかりました。ひとすじの光が見えたような気持ち。始まったばかりですが、また以前のように子ども達と過ごせることを信じて、光に向かって進んでいきたいと思います。 ※向かって右から二人目です

“健康で当たり前に過ごせる毎日にこそ、感謝”
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今から五年前の春、私が42歳の頃。突然左足のふくらはぎが腫れ、39度の高熱に見舞われました。何事かと思いながら膨れた足を引き摺り、タクシーで救急外来へ。検査の結果は予期せぬもので、白血病でした。足の腫れだけの病気と思いきや即入院で数ヶ月無菌室に入り、外部との直接の接触もできない治療が始まりました。病名は「急性前骨髄球性白血病」。担当医の説明によると白血病にはいくつかの型があり、私の症状は、その症状専用のくすりによる治療が可能で骨髄移植の必要性はないとのことでした。その後、抗がん剤の投与を伴ったものの、特別なくすりのおかげで4ヶ月の入院を経て無事退院し、日常生活を取り戻すことができた。入院当時、二人の子どもはまだ幼く、長男が小学2年、長女がまだ3歳で、無菌室のガラス越しにしか会うことができない日々。妻は毎日面会に訪れてくれており、子どもたちには寂しい思いをさせました。退院後は数ヶ月ごとに採血検査を継続中ですが特に異常はなく、今では毎日仕事をし、家族四人でありふれた暮らしでも健康で当たり前に過ごせる毎日にこそ、感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うようになりました。

“医療の技術は、日進月歩”

夫の糖尿病が見つかったのは40歳前でした。当時夫は80kg近い体重でした。血圧が230に上がり「首の後ろがなんとも言えない様に気分が悪い」と言って総合病院に行ったのが始まりでした。医者からまず体重を減らすように言われました。そして二人で栄養士さんの糖尿病食を、一週間試食しました。食事を薄味にして、その味に慣れるように努力して、毎食のカロリー計算をしながら気を付けてきました。夫はインスリンを打ちながら、糖尿病のくすりを飲みながら頑張ってきました。体重を減らす夫の頑張りも凄かったです。私も感心する程よく歩きました。二万歩近く歩いたこともありました。体重も18kg落としました。今は、インスリンは打たなくてよくなりましたが、79歳となった今でも糖尿病のくすりは欠かせられません。毎日の食事と、医者のくすりと、夫の頑張りがあってこそだとありがたく思っています。
今の健康は、くすりによって保たれています。医療技術は「日進月歩」で発展しています。夫のくすりもそのおかげです。ありがたいことでございます。糖尿病は治りませんが、一病息災で健康に留意して、くすりに頼りながら夫婦二人で楽しく長生きをして、5人の孫達の成長を見守っていきたいと考えています。

“きっとよくなる、きっと!”
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その日、入院しているベッドの横で、父母の立ち話し声が聞こえてきました。昭和45年12月が終わる寒々とした日も、私は全身浮腫で尿がまったく出ない状態でした。尿毒症の一歩前だった私の手を、握り摩ってくれていた父の顔がうっすら見えていました。「ネフローゼ症候群」と診断されてから、その治療薬の説明を受けました。それが今、私を生かしてくれている47年間の、こころの支えとなってくれました。うす桃色の小さなくすりが、私の気持ちの隙間を癒してくれました。精神的にも、肉体的にも落ち込んでいた日々に、服用後3日目ぐらいに尿量が少しずつ増え、排尿が可能となった喜びは格別でした。きっとよくなる、きっと!と信じていた自分に対して、感激の涙が湧き上がり、父から「この命を大切に繋げと」父から託された、心のロープが今も確かに脈を打つように、私の体に伴走ランナーのように気遣いが伝わってきます。青春時代真っ盛りから、高齢者となった今も、命を繋がしてもらっているくすりが地域社会で活動基盤づくりに、後押しして私に達者で長生きするよう、耳元で囁いてくれているようです。

“これからも、大切な家族と一緒に”
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私はⅠ型糖尿病を患い20年が経ち、いまも闘病しております。インスリンという分泌物が私の身体でつくられないため、1日4回、2種類のインスリン注射を打ちながら生活しています。このインスリンは命と同じくらいになくてはならない、大切なものです。このくすりと出会えたことで、血糖値が安定し、今は結婚し、子どもを2人出産して、母になることができました。糖尿病になり始めの頃はインスリン量が足りず、血糖コントロールもうまくいきませんでした。その後、糖尿病専門の病院に変え、新しい病院で出会いました主治医の先生が、私にあったインスリン、インスリン量を処方してくださいました。家族、たくさんの病院の先生、看護師さんたちに支えていただき、現在も合併症を発症せずに、生活できています。インスリンのくすりも、発病した当初からどんどん変化し使いやすいものに変わっており、1日5回だった注射は、いまでは1回減り4回になりました。大きくなってきた2人の子供たちもインスリンのくすりや、血糖値を測ることなど、糖尿病の治療に興味を持つようになり、たくさん助けてもらっています。お兄ちゃんは、将来はお医者さんになってママの病気を治したいと話すようになりました。あることが当たり前になっているインスリンですが、このくすりと出会えて、大切な家族と一緒に、元気に過ごせることに、改めて感謝したいです。

“チャレンジかなった、ハワイ旅行”

“Are you lost your bag?”後ろから声をかけられ少しポカンとしてから漸く気づきました。バッグを忘れて飛行機に乗ろうとしていたのです。年配の外国婦人が教えてくださいました。初めてのハワイ旅行はこんな失敗と親切からスタートしました。旅行はとても楽しいものでした。夕暮れのワイキキの浜辺を妻と長い散歩をしたことが思い出されます。それも、わたしがC型肝炎を完治し、元気に旅行できるような身体になったおかげです。わたしは33歳のときにC型肝炎になり、それ以来、ずっと元気のない生活をしてきました。しかし、数年前に主治医の先生からC型肝炎の新薬が出たのでぜひ治療してみるように、と勧められました。あなたは肝硬変間近だから最後のチャンスですよ、ということでした。それで、本当に治るのだろうか思いながら治療を開始しました。すると信じられないようにウィルスが減少して治癒してしまいました。今は肝炎の症状は全くありません。そこで思い切ってハワイ旅行にチャレンジしました。そして短い旅行ながらも楽しい失敗談満載の旅行となりました。これも新薬開発のおかげです。主治医の先生と製薬会社にとても感謝しています。

すべて実際に送られてきたエピソードをもとに構成しています。 ※年齢はエピソード応募時のものです。